今回はゲーム音楽史最初の山場である1985年の出来事をお話します。
まずは夏頃までの出来事をPC、アーケード、コンシューマーの動向を各項目に分けてみていきます。
PC-8801mkⅡSRの登場
まず動きがあったのが、国産PCでした。
1月にNECからPC-8801mkⅡSRが発売されました。
これはPC-8801・PC-8801mkⅡのグラフィックとサウンドを大幅に強化したもので、特にサウンドはヤマハのYM2203というFM音源チップを搭載していました。
ホームコンピューターでFM音源標準搭載は(自分が知る限り)世界初で、日本が部分的にですが、アメリカを超えた出来事でした。
まあFM音源は開発元が日本企業ですし、NECというよりヤマハが凄いのかな。
4月にはPC-8801mkⅡSRのキラーソフト『テグザー』(ゲームアーツ)が発売され人気に火が付きます。
テグザーが売れ、その音楽が評価されると、PCゲームメーカー各社はゲーム音楽のニーズを認識しはじめ、こぞってFM音源の音楽を使用した『SR専用ソフト』を出してくるようになりました。
88SR初期のゲームミュージックの良作としては、メルヘンヴェール(システムサコム)、ザナドゥ(日本ファルコム)などが記憶に残っています。
FM音源について
ここで、この年の台風の目であるFM音源について少し解説します。
FM音源とは、ヤマハが開発した音色が自分でエディットできる音源チップです。
1983年発売のシンセサイザー『DX7』に搭載され一世を風靡しました。
金属系のきらびやかな音がとくに得意で、未だにこういう音色ではFM音源が使われたりします。
一方で低音系のベースなどはPCM音源などと比べるとやや音が細い印象ですが、PSGからは全く別次元の進化でした。
このFM音源が1985年の1年間で大きくゲーム音楽を変えることになります。
MSX2の登場
6月よりMSX2規格のPCが発売されはじめています。
価格と性能でファミコンに押されていた廉価PCのMSXですが、グラフィックを大幅に強化したMSX2規格が策定されます。
これによってグラフィックはファミコンを超える性能になりますが、サウンドは残念ながらPSG3音のままでした。
当初はMSX2はMSXに比べて高価だったので、1986年11月に松下電器から『FS-A1』が発売されるまでは普及しませんでした。
アーケードゲーム業界の動向【1985年】
次にアーケードゲームを見ていきます
コナミ バブルシステム
アーケードゲーム業界ではまずは3月にコナミが『ツインビー』で、波形メモリ音源搭載の『バブルシステム』を投入してきました。
5月には第二弾『グラディウス』が出ています。
今考えると、このタイミングならFM音源でやったほうが良かったんではないか?と思いますが、いろいろ社内事情もあったのでしょう。
波形メモリ音源とはいえ『ツインビー』『グラディウス』の楽曲・音質は、それまでのコナミ作品から数段グレードアップしていて、『ナムコ一強』の牙城を崩す先鋒となるには十分な威力でした。
カプコンが『戦場の狼』でFM音源投入
5月になると『1942』や『エグゼドエグゼス』など、名作シューティングをヒットさせて力をつけてきたカプコンが、アーケードゲームにFM音源を投入してきます。
『戦場の狼』です。
カプコンはアーゲードゲーム他社より半年ほど先行してのFM音源投入となりました。
セガも『ハングオン』でFM音源採用
7月にはカプコンに続き、セガがFM音源を搭載した大型筐体の『ハングオン』を出してきます。
夏ごろまでの音楽が印象に残っているタイトル
この時期のアーケードゲームで音楽が印象に残っているのは上記のほかは以下の2つが印象的でした。
いずれも非FM音源です。
『メトロクロス』(ナムコ)~大野木さんの作ですが、ジャンゴ・ラインハルトなどのジプシースイングを彷彿とさせます。
『フェアリーランドストーリー』(タイトー)~『バブルボブル』につなっがっていくタイトーのファンシー路線ですね。
1985年デビューの作曲家
この年、アーケードゲーム業界では作曲家として、東野美紀さん(コナミ)と川口博史さん(セガ)がデビューしています。
東野美紀さんは1985年1月に『イーアルカンフー』でデビュー、『グラディウス』『沙羅曼蛇』『幻想水滸伝』などのコナミ作品を手がけました。
東野美紀さん紹介記事

川口博史さん、通称Hiro師匠は1985年7月に『ハングオン』でデビュー、『スペースハリアー』『ファンタジーゾーン』『アウトラン』『アフターバーナー』など、アーケード黄金期のセガ作品の多くを手がけています。
川口博史さん紹介記事

家庭用ゲーム機業界の動向【1985年】
ファミコンが発売され2年が経過していますが、この年の9月にスーパーマリオブラザーズ(任天堂)が発売されました。
これが空前のヒット、ロングセラーとなり、ファミコンのハードもこれで一気に普及することになります。
近藤浩治さんの音楽も素晴らしいもので、そのメロディは一般層にまで幅広く浸透していきます。
これ以降、ファミコンは爆発的に販売台数をのばし、アーケードやPCでゲームを作っていたメーカーもファミコンに続々参入し、資金も人材も充実していきます。
それに伴ってファミコン独自のゲーム音楽も発展していくこととなります。
セガ・マークⅢ
10月にはSG-1000でファミコンに敗れたセガがファミコンへの対抗として、『セガ・マークⅢ』を発売しています。
機能的にはファミコンより優れた部分もありますが、ゲーム音楽的にはそれほどのインパクトはなかったように思います。
セガマークⅢは後にオプションでFM音源が使用できるようになります。
FM音源革命とナムコ一強時代の終焉【1985年秋】
10月ごろになるとアーケードゲームメーカーは、各社一斉にFM音源を投入してきました。
『影の伝説』(タイトー)『テラクレスタ』(日本物産)などは初期基板はPSG音源で、かなり急いで導入したことがうかがわれます。
FM音源化と前後して各社とも音楽専任スタッフは常識となってきていて、この段階でナムコの優位性は完全に失われました。
ナムコ一強時代の終焉です。
11月にはトドメとばかりにセガが『スペースハリアー』を投入してきています。
この時期、アーケードゲームではセガは勢いありましたねー。
ナムコとコナミは波形メモリ音源に注力したためか、FM音源化の波に取り残されてしまします。
この二大メーカーがFM音源化するのは1986年の春以降になります。
FM-77AV発売
PCの業界では10月、NECに続き富士通が『FM-77AV』でFM音源を標準搭載してきます。
FM-77AVはPC-8801mkⅡSRの対抗として出されたもので、グラフィック機能は4096色同時発色という当時の8bit機としては破格の高性能でした。
旧御三家の残り1社、SHARPは当時はX1turboシリーズを展開していましたが、FM音源が標準搭載になったのは1986年のX1turboZからと、遅れをとっています。
――次回からは、ゲーム音楽の『第一次黄金期』についてお話したいと思います。
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