前回は初期のナムコに在籍した専業ゲーム音楽作家第一号である大野木宣幸さんについてまとめました。
大野木さんの一年後の1981年に、最初から『音楽・サウンド専任スタッフ』としてナムコに入社したのが慶野由利子さんです。
慶野さんの作品は『ゼビウス』のBGMがあまりに有名ですが、大野木さんと二人で初期のナムコタイトルの大半を手がけています。
慶野由利子さんプロフィール・略歴
本名:慶野由利子(けいの ゆりこ)
旧姓:夏目由利子(なつめ ゆりこ)
通称:YURI
生年月日:1956年
作曲家デビュー:1982年3月(ディグダグ)
代表作品:セビウス、ドラゴンバスター
東京藝術大学音楽学部楽理科卒業後、1981年にナムコに入社。
1982年~1985年 ディグダグの効果音を担当したのをきっかけにナムコのアーケードゲーム音楽を作曲。
1985年にナムコを退社。
1987年~1989年 ナムコに契約社員として復帰、楽曲提供を行う。
そのあとは、ゲーム音楽の作曲はしていないようです。
慶野さんは1981年に最初からサウンド専任スタッフとしてナムコに入りましたが、最初一年くらいはエレメカ(電子ゲームの前身となる電気で動くオモチャ)の音楽を作っていて、ビデオゲームはディグダグ(1982年3月)からの参加となります。
ディグダグで作ったのは『歩行音』ですが、メロディーがついているので、これをデビュー作としました。
これ以降、1985年頃までのナムコ主要作品を大野木さんと分担して作ってきました。
1984年春からはナムコ音楽制作陣に小沢純子さんが加わり、1985年には大野木さんと慶野さんは退社して世代交代していますが、大野木さん、慶野さんはその後も暫くナムコに楽曲提供しています。
慶野由利子さんの音楽
慶野さんは大野木さんとともに1982年~1985年のナムコアーケードゲームの主要作品を手掛けてきましたが、代表作は『ゼビウス』と『ドラゴンバスター』と思います。
『ドラゴンバスター』はゲーセンでやり込みましたね~。
最終的にワンコインで数時間プレイできるくらいになったので、音楽は音色やエコーのかかり具合まで記憶しています。
ゼビウスとミニマルミュージック
慶野さんといえば『ゼビウス』BGMの2小節ループが有名です。
あれのなにが凄いかって、アルペジオの中の1音が半音下降するだけなんですが、わずか2小節のループで
CM7→C7→FM7→FmM7
というコード進行が成立してるんですよね。
いわゆるミニマルミュージックの手法なんですが、こういうものをゲームのBGMにもってきたところが画期的でした。
音色や音数が限られる、当時のゲーム音楽の可能性を一気に広めました。
ミニマルミュージックというのは『ある音型を少しづつ変化させて音楽として成立させる』というようなジャンルですが、1960~1970年代あたりに流行して、あの久石譲さんもジブリアニメをやる前はミニマルミュージックに傾倒していました。
初期の音源スペックが乏しいゲーム音楽では、和音数が少なくても成立するこの手法はかなり効果的でした。
『ゼビウス』の他にも、初期のゲーム音楽のなかには『エグゼドエグゼス』(1985年、カプコン)など、よく出来たミニマルっぽい曲は結構な数存在します。
慶野由利子さん作曲作品
※慶野さんが手掛けた作品は全てナムコのものです。
1982年
ディグダグ(AC)
スーパーパックマン(AC)
ポールポジション(AC、1位ネームレジスト曲のみ)
1983年
ゼビウス(AC)
パック&パル(AC)
フォゾン(AC)
1984年
グロブダー(AC)
1985年
ドラゴンバスター(AC)
ディグダグ2(AC、小沢純子と共作)
ワープマン(FC、大野木宣幸・小沢純子と共作)
バラデューク(AC、開発途中で退職)
1987年
さんまの名探偵(FC、小沢純子と共作)
パックマニア(AC、小沢純子・戸室仁人と共作)
1988年
プロ野球ワールドスタジアム(AC、小沢純子・戸室仁人と共作)
プロテニスワールドコート(PCE)
1989年
ロンパーズ(AC、高柳佳恵・野口和雄と共作)
なお、1984年のパックランドは慶野さんの担当でしたが、メインBGMはアメリカのTVアニメ『PACMAN』で使用されたものが原曲で、慶野さんは編曲のみです。
※略号
AC=アーケードゲーム
FC=ファミコン
PCE=PCエンジン
SFC=スーパーファミコン
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