これから連載読み物「ゲーム音楽史」を書いていこうと思います。
「ゲーム音楽史」はゲーム音楽の歴史研究連載ですが、自分自身も時系列でまとめる事で、今まで知らなかった知識を補充できたりするし、こういうゲーム音楽関連の読み物を編纂していくことで、最終的に当ブログを「ゲーム音楽資料集」のような感じに出来たら良いなと思います。
米Exidy社の『サーカス』
世界で初めてメロディーを奏でたビデオゲームは、米Exidy社が1977年1月に発表したアーケードゲーム『サーカス(Circus)』で、単旋律のごく短いものでしたが、音階のついたサウンドを出すことができたようです。
これ以前のビデオゲームは、ノイズやブザー音を出せるものはありましたが、音階つきのサウンドを実現したのはサーカスが世界初でした。
スペースインベーダー
初期のビデオゲームといえば、日本では1978年にタイトーが発売して社会現象になったスペースインベーダーが有名ですね。自分はリアルタイムではやっていませんが、TVなどでよく取り上げられていたので、どういう音が鳴るかは知ってました。
スペースインベーダーの音源ですが、まだPSG(後述)も搭載されておらず、効果音用の発振器の周波数を変えることで、あの「デッ・・デッ・・デッ・・デッ・・・」というサウンドを実現していたようです。
あの音がベースラインに聴こえなくもないのですが、スペースインベーダーのサウンドは、まだ「音楽」と呼べるものでは無かったと思います。
日本で最初にメロディーを奏でたゲーム
スペースインベーダーのコピーゲームであるスペースフィーバー(任天堂、1979年)とメロディーパート3(サンリツ、1979年)が、日本で最初にメロディーを奏でたゲームと言われていますが、これらは『サーカス』同様のごく短いもので、「ゲームの合間に鳴るジングル」といった感じでした。
その少し後のギャラクシアン(ナムコ、1979年)も同様です。
もう少ししっかりした音楽となると、1980年5月に稼働開始したパックマン(ナムコ)のコーヒーブレイクミュージックは8小節あるし、一般的にはこのあたりから「ゲーム音楽」と認識されているのではないでしょうか。
そして、ゲーム中ずっと流れる、いわゆるBGMがついた最初のゲームはラリーX(ナムコ、1980年11月)ですね。
ラリーXは3か月後の1981年2月にはニューラリーXにバージョンアップされて、BGMも単音6小節(実質は4小節)→2和音16小節に拡張されました。
最古のゲーム音楽は?
では、結局「最古のゲーム音楽」とはどれなんでしょうか?
その答えは「ゲーム音楽」の定義によって変わってきますが、以下の3パターンが考えられます。
①1977年1月のサーカス
単音の短いジングルだが、世界で初めて音階の付いたサウンドを出したビデオゲーム
②1980年5月のパックマン
BGMは無いものの、2和音8小節のコーヒーブレイクミュージックが存在
③1980年12月のラリーX
ゲーム中、常時流れるBGMが付いた
③のラリーX「メインBGM」は明確に「ゲーム音楽」の範疇ですが、③の新バージョンであるニューラリーXメインBGMの元ネタにもなっている②のパックマン「コーヒーブレイク(マンガ・ミュージック)」は、長さも③より長いし、③は単音なのに対して②は2和音です。
そういうことを考慮すると、③よりは②を最古とするのが妥当かもしれませんね。
①は、1小節とかのジングルを「効果音」として扱うか?あるいは「音楽」として扱うか?というところで分かれますので、当ブログでは「最古のゲーム音楽」を、短い単旋律ジングルをゲーム音楽に含めるなら①のサーカス、含めないなら②のパックマンである、と考えます。
ちなみにですが、このブログでは演奏動画100曲達成記念として「最古のゲーム音楽を弾く」という企画をやって、パックマンとニューラリーXの音楽をメドレー演奏しました。
ナムコ一強時代
今解説したように、日本国内のゲーム音楽は1980年頃にパックマンやラリーXから始まり、その開発元であるナムコがリードしていくことになります。
そして、それからしばらくの間1984年頃まで「ナムコ一強時代」といえる先駆者ナムコの独走状態が続きました。
この時代、なぜナムコが音楽において圧倒的優位に立てたのか?ということを考えてみます。
ナムコ独走の3つの要因
「ナムコ一強時代」の要因として、以下の3つがあったと思います。
- ギャラクシアンとパックマンの商業的成功
- いち早く投入された波形メモリ音源
- 業界初となるサウンド専任スタッフの採用
この時代、次点としてはドンキーコング(1981年)の任天堂、タイムパイロット(1982年)のコナミあたりと思いますが、質・量ともにナムコが他社を大きく引き離し、圧倒的地位を築いていました。
まず「ナムコ一強時代」の第1の要因である商業的成功ですが、インベーダーブームに追従する形で出したギャラクシアン(1979年)がヒット。続いてパックマン(1980年)の大ヒット。この2つの成功がその後に続くタイトルへの投資へ繋がったんではないでしょうか。
PSG音源とナムコの波形メモリ音源
次に第2の要因、波形メモリ音源です。
この時代(1980年代初頭)のゲームの音源というと、やっとPSG音源が普及しはじめた段階でした。
PSGとは「Programmable Sound Generator」の略で、1978年にGeneral Instrument社が開発した3和音(チップ種別により異なる)の音階つきサウンドを実現した音源チップです。
PSGの登場によって特殊なプログラムをしなくてもメロディーや和音が表現可能になりましたが、ゲーム機や家庭用PCに普及するのは1981年頃からのことです。
当時主流のPSGチップは8オクターブの矩形波3和音とノイズが出せるもので、1984年頃までのPC・ファミコン・MSX・ナムコ以外のアーケードゲームはほとんどがこのチップを搭載していましたが、PSGの音質はファミコンに代表されるいわゆる「ピコピコ音」で、音色バリエーションが少なく、電子音に音階がついたような感じでした。
そんな時代にナムコが投入したのがC15(少し後には改良型のC30)という波形メモリ音源でした。
波形メモリ音源とはザックリいうと、PSGとFM音源(1985年頃から登場。音色を自分で作ることができる)の中間のような音源です。
FM音源のようにユーザーが波形(音色)をエディットすることはできませんでしたが、あらかじめチップに記録してある特定の波形(音色)を再生していく方式です。
原理的にはPCM音源に近いのですが、音の印象は音色のバリエーションが広がったPSGというイメージです。
ナムコは最初から波形メモリ音源を使用
ナムコの波形メモリ音源ですが、どの段階から投入されたのか?というのはネットの情報でも諸説あるようです。
- 1980年のパックマンから
- 1981年初頭のニューラリーXから
- 1981年秋のギャラガから
- 1982年後半のスーパーパックマン(マッピーと同じ基板)から
- 1983年春のマッピーから
これは自分も正確な事がわからなかったのですが、読者様からの情報によると、1.の1980年パックマンからだったようです。
つまりナムコは一般的なPSG音源などは使用せず、ごく初期の頃から独自開発した波形メモリ音源を使っていたということですね。
ちなみに、パックマン以前のギャラクシアンになると、音源にメモリを使用しておらず、発振器の抵抗値を変えることで波形を生成していたようなので、波形メモリ音源はパックマンからとしました。
波形メモリ音源といっても、初期のパックマンからポールポジション(1982年9月)あたりまではチップになっていない音源回路で、1音しか出なかったのを高速切り替えで疑似的に2和音や3和音にしていたというから驚きですよね。
音源チップ化されてネイティブで8和音出せる「C15」が採用されたのは、1982年後半のスーパーパックマンから。つまりマッピーHARD以降ということです。
ちなみに、ナムコの地位を不動のものにした名作シューティングゲーム『ゼビウス』は1983年1月稼働開始ですが、旧世代の「ギャラガHARD」で開発されていますので、C15は未搭載でした。
音源チップによる音の違い
波形メモリ音源ですが、ナムコのアーケードゲームを筆頭に、いろいろなハードに応用されてきました。
少し後のコナミバブルシステム、その応用であるコナミMSXのSCC音源、ファミコンディスクシステム、ゲームボーイなどですが、メーカーやチップによって音色の個性がありました。
- 元祖であるナムコC15/C30は温かみのあるオルガン系の音色
- コナミバブルシステムのものはグラディウスに代表されるようなきらびやかな金属系の音色
といった具合です。
ナムコの波形メモリ音源は別名「ナムコPSG」「WSG」などと呼ばれ、当時から他社のPSG音源のタイトルとは差別化されていました。
ナムコとコナミは波形メモリ音源への開発投資に注力した結果、他社よりもFM音源導入が遅れた、という結果にもなりましたが……
業界初のサウンド専任スタッフ
最後に第3の要因「サウンド専任スタッフ」についてお話します。
この時代はプログラマーやゲームデザイナーがBGMや効果音も作るという制作スタイルが一般的でした。
そんな中でナムコが他社から抜きんでた理由の一つとして、他社に先んじてサウンド専任スタッフを採用したから、ということが大きな要因としてあります。
ナムコ一強時代では3人のサウンド専任スタッフが活躍しました。
大野木宣幸さん、慶野由利子さん、小沢純子さんの3人を以下の記事で紹介しています。
大野木宣幸さん
1980年入社。代表作はマッピー、ポールポジション、リブルラブル、メトロクロスなど。
慶野由利子さん
1981年入社。代表作はディグダグ、ゼビウス、ドラゴンバスターなど。
小沢純子さん
1983年入社。代表作はギャプラス、ドルアーガの塔、スカイキッドなど。
ナムコという圧倒的ブランド
自分も子供の頃はこういう事情は知らなかったのですが、駄菓子屋時代から「ナムコのゲームの音は分厚くて豪華だなぁ」と思ってました。
音もそうなんですが、ナムコというブランド力は当時は並ぶものがないくらい強かったです。
ゲーム筐体に挟みこまれている、操作方法やロゴが書いてある紙や、雑誌に載っている画面写真を見るだけでワクワクしました。
余談ですが、当時タカラから「ゲームパソコン」(ソードのm5という機種のOEM)というものが発売され、ナムコのアーケードタイトルが家庭でプレイできるのを売りにしていました。
これが死ぬほど欲しかったんですが、少々お高かったので買ってもらえなかったです。
そして1年ほど後にMSXでナムコのアーケードゲームシリーズが出はじめたので、そちらを買いました。
MSXのこのシリーズ、パッケージにも統一感があって、よく並べて眺めて悦に入ってました(笑)
ただ、ゼビウスだけはMSX版が出なかったんですよね。
その後ファミコン版ゼビウスが発売されて、それをやるためにファミコンを購入した、というくらい筋金が入ったナムコファンでした。
コメント
ナムコの波形メモリ音源第一弾はパックマン。まだチップになっていない音源回路。発音数は1だが超高速で切り替えることで、疑似的に同時発音数3を実現。以後の音源チップもこの方式を踏襲。
ギャラガ、ディグダグ、ゼビウス等、同時発音数3のゲームはすべてこれで、ポールポジションも同じだが、音程精度を犠牲にして同時発音数4を実現している。
C15が初めて使われたのはスーパーパックマン。同時発音数は8、波形メモリは8(ROM)、ノイズ発音不可のためノイズ(爆発音)用にC54と併用される事も多かった。採用ゲームはマッピー、リブルラブル、ドルアーガの塔、トイポップ等。
C30はパックランドから採用。波形メモリは16(RAM)でプログラムから設定可能、バンク切り替えも可能、ノイズ発音も可能。同時発音数は8だが、音質を犠牲にすれば16音モードも可能。ただし16音モードが使用されたゲームは無い。
初期は音量が4ビット、中期は15ビット、後期は4ビット×2でステレオ化された。ナムコシステム86および87(システム1)ではFM音源が搭載されたため、ほぼ効果音専用で使われたが、ホッピングマッピー、ワールドスタジアム、ドラゴンスピリット、フェイスオフ等では音楽用にも使われた。システム2以降は高性能PCMチップC140が採用されたため、以後搭載されなくなった。
正確な情報をありがとうございます!
ネットで調べてもなかなか解明できなかったんですよね。
該当箇所を加筆修正させていただきます。
迅速な対応、恐れ入ります。
以上の情報は「シューティングゲームサイド Vol.8 (GAMESIDE BOOKS)」のナムコ音源伝説(石村繁一、田城幸一、小川徹、慶野由利子各氏のインタビュー)に依ります。
AMAZONで電子書籍版が発売中です。 Kindle版 \1028
位下、参考になりそうな動画をご紹介いたします。
OBSLive 2011/8/20 慶野由利子さんゲスト回
https://www.youtube.com/watch?v=LK0E3zmKxbE
アーケードゲーム『バラデューク』30周年イベント-高橋由起夫、岸本好広、慶野由利子他
https://www.youtube.com/watch?v=0vitz2_XlQo
追加です。C30ソフト音源のKAMATAに関する特集です。
『バナスタサウンズナマスタ』 第1回 YouTubeLive初放送スペシャル!
https://www.youtube.com/watch?v=CWd6I85wk_E
重ね重ね、ありがとうございます。
自分はハードウエア知識面など、力不足もあると思いますが
ゲーム音楽の魅力をもっと広めたいという気持ちから
この企画をやっています。
資料的な完成度を上げるためにも、
ご指摘いただけるとたいへんありがたいです!
ファミコン時代のベースラインがシンプルだったのはこうでもしないと、メモリに入りきらないという苦肉の策でした。
この時代はアーケードですら、メモリが少なくて苦労することがあり、あの有名なアウトランも当初はLAST WAVEが入らず、他の曲を最適化してどうにか収めたとのことです。
PPPさん、コメントありがとうございます。お詳しいですね!
80年代当時はメモリ不足の問題もかなり大きかったでしょうね。
キロバイト単位でしたし。
アウトランは当時としては1ループ長かったしアレンジも音色も凝ってたから容量的にキツかったのは想像できます。
少し前のファンタジーゾーンは当時としてはベースラインが凝っていましたね
あのスラップの使い方は衝撃的でした。
あと、3和音環境での凝ったベースラインは
アレンジ詰めるのがすごく大変で下手にやると楽曲バランス崩壊するので
開発期間や人員の問題もあって(昔は一人で短期間で音色・効果音・サウンドデバッグまで全部やってたり)
ベースラインは無難にルートを鳴らしていた。
というのもありそうです。
そのへんもう少し考察して加筆するかもです。