ゲーム音楽史では、前回までに1983年頃までのアーケードゲーム・PC・家庭用ゲーム機の状況をお話しました。
今回はゲーム音楽史最初の山場である「変革の年1985年」のお話をしようと思いますが、まずは大変革前夜となる1983年から1984年頃のゲーム音楽周辺事情からお話していこうと思います。
ナムコ一強時代後期の作品
1983年から1984年というと、第1回で解説した「ナムコ一強時代」の後半から末期にあたります。この時代はナムコの独走状態が続いていましたが、他のメーカーも徐々に追撃の態勢を整え始めた時期になります。
まずはこの時代のナムコの作品をご紹介しましょう。
マッピー(1983年5月)
大野木宣幸さんの代表作。オールドジャズ調のメインテーマは1ループが32小節もあって当時のゲーム音楽としては異例の長さで、すぎやまこういちさんも「最初期のゲーム音楽の中では最もよく出来ている」と評価していました。
リブルラブル(1983年10月)
大野木宣幸さん作曲。キャッチ―なメロディーで個人的に大好きな音楽です。
ポールポジション2(1983年10月)
大野木宣幸さん作曲。ポールポジション1から音楽も大幅に拡充されました。筐体が大きい分スピーカーも大きかったのか、ナムコの波形メモリ音源の効果を最大限に発揮して、とても迫力がありました。
ギャプラス(1984年4月)
小沢純子さんの入社直後の担当作品。「逆スクロール面」のテーマがとくに印象に残ります。
ドルアーガの塔(1984年7月)
小沢純子さんが入社後の研修で作曲しました。ゲーム音楽史上に残るクオリティーの楽曲で、この作品を境にゲーム音楽の質が変化していったように思います。
パックランド(1984年8月)
慶野由利子さんの担当ですが、有名なメインBGMはアメリカのアニメ版パックマンの主題歌で慶野さんの作ではないようですが、非常にキャッチ―なメロディーでゲーセンで耳にすると一発でおぼえてしまいましたよね。
コナミの反撃【ジャイラス】
1983年6月、コナミが出したアーケードゲーム『ジャイラス』は当時のナムコ一強だったゲーム音楽業界に一石を投じるものでした。
後にファミコンにも移植されているのでご存知の方も多いと思いますが、衝撃的だったのはその音源です。
PSG音源チップを5個搭載して、業界初のステレオ出力という力技でナムコの波形メモリ音源に挑んできました。
曲はJ.S.バッハの「トッカータとフーガニ短調」のロックアレンジでした。
この基板はコストが高すぎたのか、ジャイラス1作で終わりになってしまい、ナムコの牙城を崩すには至りませんでしたが、コナミの技術力を示すには十分なインパクトだったと思います。
PSGをたくさん重ねて厚みを出すやり方は、後のVRC6(悪魔城伝説などに使用)などに応用されています。
自分はリアルタイムではプレイしていませんが、コナミのゲームミュージック集のCDに収録されていて音楽は知っていました。
1983年という年代を考えると驚きの音で、最近まで波形メモリ音源+PCMリズム音源と思っていたくらいです。まさかPSGだけでやっているとは。
その他のメーカーの追撃
このあたりから、アーケードゲームの世界ではコナミをはじめ、ナムコ以外のメーカーも、徐々に音楽を意識してゲームを作るようになっていたと思います。
この年代、ナムコ以外で特に記憶に残っているタイトルをいくつかあげてみましょう。
エレベーターアクション(タイトー、1983年7月)
ZUNTATA初代リーダーの今村善雄さんが作曲。ジャズっぽいBGMが耳に残ります。
ソンソン(カプコン、1984年7月)
カプコン入社後間もない河本圭代さんが作曲。中華風のポップなメロディが目立っていました。
スターフォース(テクモ、1984年9月)
ゲーム音楽にメタル要素を導入した作品。初期メガテンシリーズで有名な増子司さんの出世作。
メーカーやタイトルによっては、音楽のクオリティーがナムコと並ぶほどになってきていました。
ちなみに、コンシューマーとPCに関しては、ファミコン・MSXの発売でハードは急速に普及しつつありましたが、ゲーム音楽の発展にはもう少し時間を要するのは前回までにお話した通りです。
スーパーカセットビジョン
ファミコン登場前の日本のコンシューマーゲーム機市場でメインストリームだったカセットビジョンを出したエポック社ですが、1984年7月にファミコンに対抗した後継機、スーパーカセットビジョンを発売しています。
このゲーム機はグラフィック機能はファミコンを凌ぐものがありましたが、サウンドはPSG3音を内部合成してモノラル出力というもので、ファミコンやSG-1000より貧弱なものでした。
シェア的にも一部のファンに支持されたものの、到底ファミコンに太刀打ちできるものではなく、ゲーム機市場においてエポック社は淘汰されていってしまいます。
1983年と1984年デビューの作曲家
この年代からナムコ以外のメーカーでも専任作曲家が出てきます。1983年から1984年には、有名どころだと以下の7人がデビューしています。
任天堂の近藤浩治さんと田中宏和さん
上で少し触れた増子司さん
タイトーの小倉久佳さん
ナムコの小沢純子さん
カプコンの森安也子さんと河本圭代さん
1985年前半の国産PC
それでは、ここから今回の本編である1985年の出来事をお話します。
1985年は初期ゲーム音楽の最大の変革期であり、FM音源が登場と同時に一気に普及し、ナムコ一強時代は終わりを告げます。
まずは夏頃までの出来事をPC、アーケード、コンシューマーの動向を各項目に分けてみていきましょう。
まず動きがあったのが、国産PCでした。
PC-8801mkⅡSR
1月にNECからPC-8801mkⅡSRが発売されました。
これはPC-8801・PC-8801mkⅡのグラフィックとサウンドを大幅に強化したもので、特にサウンドはヤマハのYM2203というFM音源チップを搭載していました。
ホームコンピューターでFM音源標準搭載は(自分が知る限り)世界初で、日本が部分的にですが、アメリカを超えた出来事です。
まあFM音源は開発元が日本企業だしNECというよりヤマハが凄いのかな。
4月にはPC-8801mkⅡSRのキラーソフト、テグザー(ゲームアーツ)が発売され人気に火が付きます。
テグザーが売れ、その音楽が評価されると、PCゲームメーカー各社はゲーム音楽のニーズを認識しはじめ、こぞってFM音源の音楽を使用した「SR専用ソフト」を出してくるようになりました。
88SR初期のゲームミュージックの良作としては、メルヘンヴェール(システムサコム)、ザナドゥ(日本ファルコム)などが記憶に残っています。
FM音源について
ここで、この年の台風の目であるFM音源について少し解説します。
FM音源とは、ヤマハが開発した音色が自分でエディットできる音源チップです。1983年発売のシンセサイザー、DX7に搭載され一世を風靡しました。
金属系のきらびやかな音がとくに得意で、未だにこういう音色ではFM音源が使われたりします。
一方で低音系のベースなどはPCM音源などと比べるとやや音が細い印象ですが、PSGからは全く別次元の進化でした。
このFM音源が1985年の1年間で大きくゲーム音楽を変えることになります。
MSX2の登場
6月よりMSX2規格のPCが発売されはじめています。
価格と性能でファミコンに押されていた廉価PCのMSXですが、グラフィックを大幅に強化したMSX2規格が策定。これによってグラフィックはファミコンを超える性能になりますが、サウンドは残念ながらPSG3音のままでした。
当初はMSX2はMSXに比べて高価だったので、1986年11月に松下電器からFS-A1が発売されるまでは普及しませんでした。
1985年のアーケードゲーム業界
次にアーケードゲームを見ていきます。
コナミ バブルシステム
アーケードゲーム業界ではまずは3月にコナミが波形メモリ音源搭載基板の「バブルシステム」を投入してきました。第1弾作品はツインビー。
5月には第2弾のグラディウスが出ています。
今考えると、このタイミングならFM音源でやったほうが良かったんではないか?と思いますが、いろいろ社内事情もあったのでしょう。
波形メモリ音源とはいえ、ツインビー、グラディウスの楽曲・音質は、それまでのコナミ作品から数段グレードアップしていて、「ナムコ一強」の牙城を崩す先鋒となるには十分な威力でした。
アーケードゲーム初期のFM音源作品
5月になると「1942」やエグゼドエグゼスなど、名作シューティングをヒットさせて力をつけてきたカプコンが、FM音源作品である「戦場の狼」を投入してきます。
7月にはカプコンに続き、セガがFM音源を搭載した大型筐体のハングオンを出しています。
ちなみにですが、日本初のFM音源採用ゲームは1984年12月リリースのサイクルマー坊(開発セタ、発売タイトー)だそうで、自分はこのタイトル全く知らなかったです。今、ネットでプレイ動画を見ても「なんじゃこれは?やっぱりこんなの絶対知らないしw」という感じでした
夏頃までの音楽が印象に残っているタイトル
この時期のアーケードゲームで音楽が印象に残っているのは自分的には以下の2つが印象的でした。いずれも非FM音源です。
メトロクロス(ナムコ)
大野木さんの作ですが、ジャンゴ・ラインハルトなどのジプシースイングを彷彿とさせます。
フェアリーランドストーリー(タイトー)
バブルボブルへと繋がっていくタイトーのファンシー路線ですね。
1985年デビューの作曲家
この年、アーケードゲーム業界では作曲家として、東野美紀さん(コナミ)と川口博史さん(セガ)がデビューしています。
東野美紀さんは1985年1月にイーアルカンフーでデビュー、グラディウス、沙羅曼蛇、幻想水滸伝などのコナミ作品を手がけました。
川口博史さん(通称Hiro師匠)は1985年7月にハングオンでデビュー、スペースハリアー、ファンタジーゾーン、アウトラン、アフターバーナーなど、アーケード黄金期のセガ作品の多くを手がけています。
1985年の家庭用ゲーム機業界
ファミコンが発売され2年が経過していますが、この年の9月にスーパーマリオブラザーズ(任天堂)が発売され、空前のヒット、ロングセラーとなりました。
近藤浩治さんの音楽も素晴らしいもので、そのメロディは一般層にまで幅広く浸透していきます。
この作品をきっかけにファミコンは爆発的に販売台数をのばし、アーケードやPCでゲームを作っていたメーカーもファミコンに続々参入し、資金も人材も充実。それに伴ってファミコン独自のゲーム音楽も発展していくこととなります。
セガマークⅢ
10月にはSG-1000でファミコンに敗れたセガがファミコンへの対抗としてセガマークⅢを発売しました。
機能的にはファミコンより優れた部分もありますが、ゲーム音楽的にはそれほどのインパクトはなかったように思います。
ちなみに、セガマークⅢは後にオプションでFM音源が使用できるようになりました。
FM音源革命とナムコ一強時代の終焉
1985年も秋頃になるとアーケードゲームメーカーは、各社一斉にFM音源を投入してきました。
影の伝説(タイトー)、テラクレスタ(日本物産)などは初期基板はPSG音源で、かなり急いで導入したことがうかがわれます。
カプコンもFM音源第2弾作品、魔界村を投入してヒットさせています。これもインパクトある音楽でしたよねー。
FM音源化と前後して、各社ともサウンド専任スタッフの採用は常識となってきていて、この段階でナムコの優位性は完全に失われました。
ナムコ一強時代の終焉です。
そして、11月にはトドメとばかりにセガがスペースハリアーを投入。
ナムコとコナミは波形メモリ音源に注力したためか、FM音源化の波に取り残されてしまいます。この二大メーカーがFM音源化するのは1986年の春以降のことです。
FM-77AV発売
PCの業界では10月、NECに続き富士通がFM-77AVでFM音源を標準搭載してきます。
FM-77AVはPC-8801mkⅡSRの対抗として出されたもので、グラフィック機能は4096色同時発色という当時の8bit機としては破格の高性能でした。
なお、旧御三家の残り1社、SHARPは当時はX1turboシリーズを展開していましたが、FM音源が標準搭載になったのは1986年のX1turboZからと、遅れをとっています。
――次回からは、ゲーム音楽の「第一次黄金期」についてお話したいと思います。
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