前回までに、1983年ごろまでのアーケードゲーム・PC・家庭用ゲーム機の状況をお話しました。
今回はゲーム音楽史最初の山場である1985年のことを話す前に、その少し前のゲーム音楽周辺の状況を、自分の体験も交えながらお話しようと思います。
ジャイラス~コナミの反撃
ゲーム音楽は1981年~1984年頃まで『ナムコ一強時代』だったことは数回にわたってお話した通りですが、そんな中、コナミが衝撃的なアーケードゲームを出してきました。
1983年6月稼働開始の『ジャイラス』です。
(C)KONAMI
後にファミコンにも移植されているのでご存知の方も多いと思いますが、衝撃的だったのはその音源です。
PSG音源チップを5個搭載して、業界初のステレオ出力という力技でナムコの波形メモリ音源に挑んできました。
曲はJ.S.バッハの『トッカータとフーガニ短調』のロックアレンジでした。
この基板はコストが高すぎたのか、『ジャイラス』一作で終わりになってしまい、ナムコの牙城を崩すには至りませんでしたが、コナミの技術力を示すには十分なインパクトだったと思います。
PSGをたくさん重ねて厚みを出すやり方は、後のVRC6(先日演奏した悪魔城伝説等に使用)などに応用されています。
自分はリアルタイムではプレイしていませんが、コナミのゲームミュージック集のCDに収録されていて音楽は知ってました。
1983年という年代を考えると驚きの音です。最近まで波形メモリ音源+PCMリズム音源と思っていたくらいです。
まさかPSGだけでやってるとは。
ナムコ以外のゲーム音楽【1983年後半~1984年】
このあたりから、アーケードゲームの世界ではコナミをはじめ、ナムコ以外のメーカーも、徐々に音楽を意識してゲームを作るようになっていたと思います。
この年代、ナムコ以外で特に記憶に残っているタイトルをいくつかあげます。
ジャズっぽいBGMが耳に残る
エレベーターアクション(タイトー 1983年7月)
(C)TAITO
中華風のポップなメロディの
ソンソン(カプコン 1984年7月)
(c)CAPCOM
初期メガテンシリーズで有名な増子司さんの出世作
スターフォース(テクモ 1984年9月)
(c)KOEI Tecmo
メーカーやタイトルによっては、音楽のクオリティーがナムコと並ぶほどになってきていました。
ちなみに、コンシューマーとPCに関しては、ファミコン・MSXの発売でハードは急速に普及しつつありましたが、ゲーム音楽の発展にはもう少し時間を要するのは前回までにお話した通りです。
スーパーカセットビジョン
ファミコン登場前の日本のコンシューマーゲーム機市場でメインストリームだった『カセットビジョン』を出したエポック社ですが、1984年7月にファミコンに対抗した後継機『スーパーカセットビジョン』を発売しています。
このゲーム機はグラフィック機能はファミコンを凌ぐものがありましたが、サウンドはPSG3音を内部合成してモノラル出力というもので、ファミコンやSG-1000より貧弱なものでした。
シェア的にも一部のファンに支持されたものの、到底ファミコンに太刀打ちできるものではなく、ゲーム機市場においてエポック社は淘汰されていってしまいます。
1984年デビューの作曲家
この年代からナムコ以外のメーカーでも専任作曲家が出てきます。
1984年には有名どころだと以下の4人がデビューしています。
- 上で少し触れた増子司さん(真・女神転生 銀座の記事13参照)
- タイトーの小倉久佳さん(ダライアス CaptainNeoの記事参照)
- 任天堂の近藤浩治さん(ゼルダの伝説 メインテーマの記事参照)
- ナムコの小沢純子さん(ゲーム音楽史03参照)
駄菓子屋のゼビウス体験(1983年前半)
以下の章はこの年代の自分の体験談になります。
自分とゲーム音楽の関わりで書いたように、自分がゲームにはまり始めたのは1983年頃です。
それ以前から友人宅で『ブロック崩し』や『カセットビジョン』をプレイしたり、ゲーム&ウオッチやLSIゲームで遊んだりはしていましたが、音楽やグラフィックに魅せられて本格的にハマっていったのは、ある日行きつけの駄菓子屋に登場した『ゼビウス』がキッカケです。
その駄菓子屋には1982年後半あたりから出入りしていて、ゼビウスの前は『ムーンパトロール』→『バーニンラバー』でした。
それらも面白くてかなりの回数やった憶えがありますが『ゼビウス』には芸術性すら感じて、その世界に夢中になりました。グラフィック、サウンド、ゲーム内容、全てが衝撃的でした。
テレビゲーム売り場・家電展示場に入り浸り
それからまもなくファミコンとMSXが発売されます。
自分はタダでゲームが遊べるからと、ファミコンやセガの置いてあるデパートのおもちゃ売り場ゲーム機展示コーナーや、MSXがたくさん置いてあった家電の展示場に入り浸っていたダメな子供でした。
当時、ファミコンの機能は凄いと思いましたが、アーケード版『ゼビウス』の芸術性と、それを作ったナムコは別格でした。
ゲーセンデビューとMSX・ファミコン購入(1984年)
自分がゲームにハマりはじめてしばらくして、近所にゲームセンターがオープンしました。
当時、まだゲーセンというと薄暗くて不健康な『不良の溜まり場』みたいなイメージで、子供にはなかなか入りづらい場所でしたが、場所が近所なので友人達と通うようになりました。
『ドルアーガの塔』『パックランド』『ソンソン』が出た頃なので、1984年の夏休みあたりですね。
同じころ『マイコンBASICマガジン』の購読を始めました。
最初に買ったのは1984年7月号。
X1版のゼビウスの特集号でした。
当然ながらX1が欲しくなったのですが、値段的に全く手が届きませんでした。
でも、PCでどうしてもプログラミングの勉強がしたい、という口実でMSXを購入しました。
プログラミング言ってもベーマガのダンプリストを打ち込むだけでしたがww
それから数か月後、ファミコン版『ゼビウス』(1984年11月)が発売されました。
(c)Bandai Namco
これがX1のものより出来が良かったのでファミコンも購入しました。
――1980年代はいろんなジャンルで技術革新が急速に進んでいて、自分の人生でも一番物欲に支配された時代でした。
メーカーもめちゃめちゃ儲かったでしょうね。
でも子供だからお金が無い。
なので、情報収集・工夫に努めました。
- PCやソフトは中古、買取を利用
- ファミコンソフトは友達同士で貸し借り(たまに帰ってこない)
- ゲーセンは50円のところまで遠征
まあ、みんな同じようなことやってたんでしょう。懐かしいなぁ……
海の向こうではFM音源が登場
1984年12月、先進国アメリカでは世界初のFM音源搭載ゲーム『マーブルマッドネス』が登場しています。
(c)Atari Games
日本上陸は1985年春ごろでしたが、新しい時代の幕開けです。
次回、大変革の1985年に突入となります。お楽しみに!
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