今村善雄【ゲーム音楽作曲家列伝第2部 第1回】

ゲーム音楽作曲家列伝では、昨年より「番外編」として、ゲーム音楽の作曲を手掛けてはいるもののゲーム音楽がメインではない作曲家や外国人作曲家を紹介してきました。

番外編は20回で一旦終了とし、今回からは「本編第2部」として、再びゲーム音楽がメインの国内作曲家を紹介していきたいと思います。

第2部では今まで自分があまり馴染みがなかった作曲家も守備範囲に入れて執筆していこうかと。

第2部第1回は、黎明期のタイトーに所属し、ZUNTATA初代リーダーでもあり、記録が残っている中では恐らく日本で初めてオリジナルなゲーム音楽を作った今村善雄さんです。

今村善雄さんプロフィール・略歴

本名:今村善雄(いまむら よしお)
通称:IMA
作曲家デビュー:1979年11月(ルナレスキュー)
代表作品:エレベーターアクション、ちゃっくんぽっぷ

今村善雄さんは黎明期のタイトーに在籍してサウンド部門の礎を築いた方です。

ゲーム音楽作曲家列伝第1部の第1回で「ゲーム音楽の父」「業界初のゲーム音楽の専業作曲家」として紹介した大野木宣幸さんは1980年にナムコに入社、デビュー作のラリーXが1980年11月ですが、今村さんはその1年も前にゲーム音楽を作曲(ルナレスキュー、1979年11月)したことが知られています。

ただ、今村さんの場合は「サウンド制作も出来る基板開発技術者」という関わり方だったので、ナムコで大野木さんの先輩だった甲斐敏夫さんと近い立ち位置だったと思われます(後述)。ですので、業界初のゲーム音楽作曲家を大野木さんとするか、今村さん・甲斐さん(お二人はデビュータイミングもほぼ同時)とするかは意見が分かれるところではないでしょうか。

今村さんの音楽歴は、中学時代にギターを始め、フォークをやっていたようです。高校時代はブラスバンド部でサックスをやっていて、その後、横須賀交響楽団で打楽器を担当しています。大学では光ファイバーの研究をしていましたが、1977年頃タイトーに入社。入社理由は実家の横須賀から近かったからだそうで。

当時のタイトーには、スペースインベーダー(1978年6月)のサウンドを担当したことで知られる亀井道行さんらがいましたが、彼らが作っていたのは効果音の範疇のもので、音階や調性を伴った「作曲」と呼べる仕事をしたのはタイトーでは今村さんが最初でした。

今村さんは主に基板開発などをやっていた技術者でしたが、音楽の素養があるということで、度々、亀井さんからサウンドについての相談を受けていて、その流れで亀井さんの後任としてサウンド担当となったということです。

当時はまだPSG音源ですら(国内のゲーム機用途では)実用化されていなかったので、音を鳴らすのに専用の音源回路を組まなくてはならなかったといいます。そのため、基板の技術者がサウンド担当を兼任するのが一番効率が良かったようで、今村さんは最適な人材だったのでしょう。

今村さんが最初に作曲をしたのは1979年11月に稼働開始したルナレスキューのコーヒーブレイクミュージックで、そのしばらく後には史上初のBGM付きゲームであるバルーンボンバー(1980年4月)のBGMを作りました。

その後、アルペンスキー(1982年)、エレベーターアクション(1983年)、ちゃっくんぽっぷ(1984年)などのゲーム音楽黎明期のタイトー作品の音楽を作曲しましたが、1984年後半頃からは新人の小倉久佳さんらに作曲を任せ、自身はサウンドディレクターとして管理責任者的な仕事をするようになりました。

なお、現在はタイトーを退社し、アーケードゲーム機製造会社「ジョイテック」の取締役を務めています。

ZUNTATA産みの親

タイトー社内では1981年から1982年にかけて今村さんを中心とした「第5研究室」が設置され、1983年には正式なサウンド部門として発足しました。

タイトーサウンド部門は1984年頃から小倉さんらが参加してタイトーのゲーム音楽は大発展を遂げますが、その管理・統括的立場にいたのが今村さんだったのです。

そして、1987年頃からサウンド部門がZUNTATAを名乗るようになると、初代リーダーに就任。今村さんは大所帯になりつつあったZUNTATAのメンバーから慕われる上司だったようです。

ZUNTATA紹介記事

ゲーム音楽黎明期のナムコとタイトー

ゲーム音楽史第1回で解説していますが、日本でゲーム音楽と呼べるものが誕生したのは1980年前後で、それからしばらく「ナムコ一強」の時代が続くことになります。この時代、ナムコの対抗馬の筆頭はタイトーであったと自分は思っています。

ナムコより早いタイミングで世界初のBGM付きタイトル『バルーンボンバー』を出したりしていますし。

それも今村さんの存在があったからこそだと思うのですが、当時の今村さんの立ち位置は、ナムコの甲斐敏夫さん(パックマン、ラリーXの作曲者)と色んな意味でイメージが被ります。甲斐敏夫さんについては、こちらの記事で紹介しています。

彼らは技術者(甲斐さんの専門は美術ですが)とサウンドスタッフの中間的存在であり、作曲者としてのデビュータイミングもほぼ同じなんですよね。今村さんがルナレスキュー、甲斐さんがギャラクシアンで、共に1979年11月です。

その後、甲斐さんはパックマン(1980年5月公開)とラリーX(1980年11月)のBGMを作曲。少し前まではラリーXのものが「最古のゲームBGM」と言われていましたが、それよりも半年以上も早く今村さんはバルーンボンバー(1980年4月)のBGMを作っていたことが判明しています。

ラリーXの後すぐに甲斐さんは大野木宣幸さんにバトンタッチしていて、1981年から1982年にかけて大野木さんと慶野由利子さんとのタッグで「ナムコ一強時代」を築いていきますが、タイトーのほうは1982年頃までは今村さんがほぼ一人で楽曲を作っていた状況だったようです。

このあたりのナムコの動きの速さがゲーム音楽史におけるナムコ一強時代の要因になったと思われますが、タイトーがあと1年か2年、音楽に本腰を入れるのが早ければ「タイトー一強時代」となっていたかも知れませんね。

今村善雄さん作曲作品

※メーカーは全てタイトー、プラットフォームは全てアーケードゲームです

1979年

ルナレスキュー(コーヒーブレイクのジングル作曲)

1980年

バルーンボンバー(史上初のBGM付きゲーム)

1981年

スペースクルーザー

スペースシーカー

1982年

アルペンスキー

ワイルドウエスタン

ジャングルキング

タイムトンネル

1983年

エレベーターアクション

1984年

ちゃっくんぽっぷ

忍者ハヤテ(サウンドディレクション。劇伴作曲は東映動画)

1985年

宇宙戦艦ヤマト(サウンドディレクション。劇伴作曲は東映動画)

タイムギャル(サウンドディレクション。劇伴作曲は東映動画だが一部作曲に参加?)

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