兼岡行男【ゲーム音楽作曲家列伝第2部 第2回】

ゲーム音楽作曲家列伝は前回から第2部に入り、再びゲーム音楽の黎明期まで遡って作曲家の紹介をしていますが、今回は最初期の任天堂で活躍された兼岡行男さんをご紹介します。

初期の任天堂のゲーム音楽作曲家といえば、近藤浩治さん(スーパーマリオ、ゼルダの伝説)や田中宏和さん(メトロイド、パルテナの鏡、MOTHER)が有名ですが、兼岡さんは彼らのさらに先輩(正確な入社時期は不明だが、田中宏和さんとは同期かも?)に当たります。

兼岡行男さんプロフィール・略歴

本名:兼岡行男(かねおか ゆきお)
生年月日:1948年(詳細は不明)
作曲家デビュー:1981年7月(ドンキーコング)※本文参照
代表作品:ドンキーコング

兼岡行男さんは最初期の任天堂のアーケードゲーム及びファミコンタイトルのサウンドを担当した方です。

兼岡さんの本職はプログラマー・基板開発技術者ですが、音楽の素養があったために1980年頃よりアーケードゲームのサウンドを担当していて、これはナムコの甲斐敏夫さん(1979年デビュー、代表作はパックマン、ラリーX)、タイトーの今村善雄さん(1979年デビュー、代表作はバルーンボンバー、エレベーターアクション)と同様の立場であったものと思われます。

この時代のゲーム制作は分業化が進んでおらず、プログラマーやエンジニアが片手間にサウンドを作っていた状況だったのが、1982年から1983年頃(PSG音源が普及し始めるあたり)からゲーム音楽の需要が急激に高まってきました。

それにいち早く対応したのが、前述の甲斐敏夫さんと今村善雄さんがいたナムコとタイトーでしたが、1982年頃までに大野木宣幸さん、慶野由利子さんというサウンド専任スタッフを採用したナムコが業界をリードする形となったのはゲーム音楽史01で書いた通りです。

一方、任天堂は1979年にスペースフィーバーという国産初(ただし諸説あり)のメロディー付きビデオゲームをリリースしていますが、その内容は既存曲の一節を単音ジングル化したもので、オリジナル性のあるゲーム音楽と言えるものではありませんでした。

任天堂がオリジナルなゲーム音楽、とくにBGMという形でビデオゲームに音楽を付け始めたのはナムコやタイトーより1年ほど遅い1981年からで、その時期に作曲を任されていたのが兼岡行男さんでした。

なお、同時期に効果音を担当していたのは同じく技術者であった田中宏和さんでしたが、このタッグでの制作は3年以上継続していたため、兼岡さんから田中さんへの音楽的・技術的な影響も多分にあるのではないかと。

兼岡さんのデビュー作はスペースファイアバード(1980年)と言われていますが、確認できた範囲では、この作品には音楽らしい音楽は無いので除外としました。

次のスカイスキッパー(1981年8月稼働開始)とドンキーコング(1981年7月稼働開始)には音楽が付いていて、開発はスカイスキッパーのほうが早かったらしいですが、世に出たのはドンキーコングのほうが先なので、ここではドンキーコングをデビュー作としました。

そして、一般的に兼岡さんの最大の功績とされるのが、1983年発売のファミリーコンピューターのCPU=RP2A03のAPUを設計したことです。

RP2A03にはファミコンサウンドを決定付けたカスタムPSGが統合されており、兼岡さんはファミコンのサウンドデザインに深く関与したものと思われます。

その後、1984年頃になると近藤浩治さんや中塚章人さんが任天堂に入社。それまで効果音を担当していた田中宏和さんも作曲を担当しはじめたりして、作曲担当者は兼岡さんから田中さん・近藤さん・中塚さんにバトンタッチされ、任天堂のゲーム音楽は本格的に発展していくことになります。

ちなみに、近藤さんには兼岡さんが直接プログラムとサウンドデザインを教えたという話が伝わっています。

そんな形で任天堂のゲーム音楽黎明期を支えた兼岡行男さんですが、作曲を手掛けた作品には、ドンキーコング、ドンキーコングJR、ポパイ、マリオブラザーズなどの初期任天堂の看板タイトルが多数含まれており、また、ファミコンのほうでも1983年から1984年前半の最初期タイトルのほとんどを手掛けるなど、任天堂サウンドの雛型を作った功績は非常に大きいのではないでしょうか。

現時点で判明している情報によると、兼岡さんはスーパーファミコンの『F-ZERO』(1990年)にサウンドスタッフ(作曲はしていない)として参加したのを最後に任天堂を退社したと推測され、その後はゲーム音楽・ゲーム開発に関わったという記録は無いようです。

耳に残る任天堂初期作品の音楽

兼岡行男さんが手掛けたゲーム音楽は、ドンキーコングの「ハンマーのテーマ」がとくに有名ですが、兼岡さんが作ったファミコンの最初期タイトルの音楽は、初期の頃からファミコンをプレイしていた人達に強い印象を残しているのではないでしょうか。

自分も最初期の任天堂(主にファミコンのもの)のサウンドは独特の味があって大好きなのですが、とくにタイトル画面で流れるタイトルテーマ曲など、シンプルながらとても印象的なものが多かったですよね。

兼岡さんはファミコンのサウンド設計者だけあって、その特性を知り尽くした作曲・アレンジが施されています。

また、兼岡さんが任天堂の作曲担当だった1981年から1984年前半あたりの時代は、他社はまだファミコンに本格参入しておらず任天堂作品が中心でした。

ですので、初期の頃からファミコンをプレイした人は、ほぼ確実に兼岡さんの音楽に長時間接したはずで、後続に与えた影響は計り知れないでしょう。

兼岡行男さん作曲作品

※メーカー名の記載の無いものは全て任天堂

1980年

スペースファイアバード(AC、音楽と呼べるものは無し)

1981年

ドンキーコング(AC)

スカイスキッパー(AC)

1982年

ドンキーコングJR(AC)

ポパイ(AC)

1983年

マリオブラザーズ(AC/FC)

五目ならべ 連珠(FC)

麻雀(FC)

ポパイの英語遊び(FC)

ドンキーコングJRの算数遊び(FC)

ベースボール(FC)

パンチアウト!!(AC、近藤浩治と共作)

1984年

テニス(FC)

ピンボール(FC)

4人打ち麻雀(FC、ジャン狂の移植作)

1985年

アームレスリング(AC)

1986年

バレーボール(FC/FCD)

1987年

ディフェンダーⅡ(NES、日本未発売)

マイクタイソン・パンチアウト!!(FC、中塚章人・山本健誌と共作)

ミリピード 巨大昆虫の逆襲(FC、HAL研究所)

ジャウスト(FC、HAL研究所)

1988年

帰ってきたマリオブラザーズ(FCD、永谷園とのタイアップでマリオブラザーズをリメイク)

※略号
AC=アーケードゲーム
FC=ファミリーコンピュータ
FCD=ファミコンディスクシステム
NES=欧米版ファミコン

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