今回、執筆をスタートした「ゲーム音楽史」はゲーム音楽の歴史研究連載です。
こういうゲーム音楽関連の読み物を編纂していくことで、最終的に当ブログを「ゲーム音楽資料集」のような感じに出来たらと思いますので、頑張って執筆して参ります!
ゲーム音楽の源流
はじめに「ゲーム音楽」は、いつ頃から、どのように始まったのか?という事から書いていこうと思います。
これは、ビデオゲームが発する音のうち、どこからを「音楽」として扱うか?という難しい問題があるのですが、現在、ゲーム音楽の源流とされている重要なタイトルを紹介しながら考察をしていきましょう。
サーカス(1977年1月)
世界で初めてメロディーを奏でたビデオゲームは、米Exidy社が1977年1月に発表したアーケードゲーム『サーカス(Circus)』で、単旋律の短いものでしたが、音階の付いたサウンドを出すことが出来ました。
これ以前のビデオゲームは、ノイズやブザー音を出せるものはありましたが、音階付きのサウンドを実現したのはサーカスが世界初と言われています。
具体的には、ミスした時の葬送行進曲(ショパン)が有名ですが、ボーナス達成時には4小節という長めのジングル(オリジナル曲なのかは不明。なんとなく「森の●まさん」のアレンジっぽい?)が奏でられます。
スペースインベーダー(1978年6月)
初期のビデオゲームといえば、日本では1978年6月にタイトーが発売して社会現象になったスペースインベーダーが有名ですよね。
自分はリアルタイムではやっていませんが、TVなどでよく取り上げられていたので、どういう音が鳴るのかは知っていました。
スペースインベーダーの音源ですが、まだPSG(後述)も搭載されておらず、効果音用の発振器の周波数を変えることで、あの「デッ・・デッ・・デッ・・デッ・・・」というサウンドを実現していたようです。
あの音がベースラインに聴こえなくもないのですが、スペースインベーダーのサウンドを「音楽」と呼ぶのは意見が分かれる所だと思います。
メロディーパート3とスペースフィーバー(1979年2月)
国産のタイトルで初めて調性的な音階のあるメロディーを奏でたのは、スペースインベーダーのコピーゲームであるメロディーパート3(サンリツ、発売年は1978年か1979年かはっきりしない。別名Space War)やスペースフィーバー(任天堂、1979年2月)と言われています。
メロディーパート3(Space War)は、ゲーム中に1、2小節程度のジングルが鳴ります。
スペースフィーバーはジングルに加えて、敵の歩行音に音階が付いて少しメロディーっぽくなっているので、BGMと言えなくもないかもしれません。
ただ、これらはいずれも「音楽」と表現するには短かすぎるように思いますし、内容的にも既存曲の流用がほとんどだったりします。
ギャラクシアン(1979年11月)とルナレスキュー(1979年11月)
ギャラクシアン(ナムコ)とルナレスキュー(タイトー)は、ほぼ同時期に稼働開始したタイトルですが、これらには単音で1小節程度とシンプルなのもながら、オリジナルなジングルが付いています。
ちなみに、ギャラクシアンのものはナムコの甲斐敏夫さん(パックマン&ニューラリーXの記事で紹介)、ルナレスキューのほうはタイトーの今村善雄さん(この記事の末尾で紹介)の作曲であることが判明しています。
バルーンボンバー(1980年4月)
ゲーム中ずっと流れる、いわゆるBGM(バックグラウンド・ミュージック)がついた最初のゲームは、一般的には1980年11月稼働開始の初代ラリーX(ナムコ)と言われていましたが、改めて調べてみると1980年4月に稼働開始したバルーンボンバー(タイトー)が史上初のBGM付きゲームということが判明しました。
バルーンボンバーのBGMは単音8小節のものですが、前述の今村善雄さんが作曲したオリジナル曲である事が分かっています。
パックマン(1980年5月)
ナムコが開発し、1980年5月に発表された(稼働開始は7月)パックマンのコーヒーブレイクミュージックは、2和音8小節でコード進行感もあるものでした。作曲は甲斐敏夫さんです。
カーニバル(1980年6月)
1980年6月稼働開始のカーニバル(セガ、グレムリン)は、恐らく国内初のPSG(後述)採用タイトルで、3和音32小節(3/4拍子でとった場合)のメロディーがテンポアップ&転調しながらリピートするという、時代を考慮すると驚愕するレベルの長いBGMが付いていました。
ただ、カーニバルのBGMはクラシックの原曲がある感じもします。このあたりは調べても良くわからなかったので、オリジナル性に関しては不明です。
ラリーX(1980年11月)とニューラリーX(1981年2月)
一般的に最古のBGM付きゲームとして認知されていた初代ラリーX(1980年11月、ナムコ)は、単音6小節のBGM(作曲は甲斐敏夫さん)が付いていましたが、3か月後の1981年2月にはニューラリーXにバージョンアップされて、BGM(作曲は大野木宣幸さん)も2和音16小節に拡張されました。
音楽の知名度としてはバルーンボンバー・カーニバル・初代ラリーXのものより、こちらのニューラリーXのものが圧倒的に有名であり、最古のゲーム音楽というと、ニューラリーXのメインBGMをイメージする方も多いのではないでしょうか。
最古のゲーム音楽とは?
最初期の音楽付きビデオゲームをいくつか紹介しましたが、結局「最古のゲーム音楽」とは何なのでしょうか?
ここでは、上で紹介した11のタイトルを「最古のゲーム音楽」候補としますが、「最古のゲーム音楽」という概念自体が「ゲーム音楽」の定義の仕方(オリジナルか?とか、音楽としてある程度の体裁を備えているか?など)によって変わってくると思います。
サーカスは、4小節のボーナス達成時のジングルを「音楽」の範疇に含めるか?またそのジングルはオリジナルなのか?というところで解釈が分かれそうですが、そういう条件付けをしないでシンプルに考えれば、これが最古のゲーム音楽ですよね。
音楽としての体裁やオリジナル性を条件とした場合は判断が難しくなるのですが、上に挙げた中で確実にオリジナル曲と判明しているのは、現段階ではギャラクシアン・ルナレスキュー・バルーンボンバー・パックマン・ラリーX/ニューラリーXでしょうか。
1小節とかのジングルを「ゲーム音楽」に入れるなら、ギャラクシアンとルナレスキューが「最古のオリジナルなゲーム音楽」有力候補ということになりそうです。
バルーンボンバーについては最近知ったのですが、単音とはいえ8小節あるオリジナル曲であり、パックマンより先に出ているし、現時点で「最古のオリジナル且つ、ある程度の体裁を備えたゲーム音楽」最有力候補と思われます。
ただ、「最古」のものは今後また新情報が出て変わってくる可能性がありますが、一般的な知名度と後続への影響の大きさということを考えると、パックマンとニューラリーXの音楽は「ゲーム音楽の源流」として外せないものだと思います。
なお、このブログの演奏動画100曲達成記念として「ゲーム音楽の源流を弾く」という企画をやって、パックマンとニューラリーXの音楽をメドレー演奏しました。パックマンとラリーX/ニューラリーXの音楽についてもこちらの記事で詳しく書いているので、是非ご一読を。
ナムコ一強時代
今解説した通り、日本国内のゲーム音楽は1980年前後にその歴史が始まったのですが、その中で大きな知名度を得たパックマンやラリーX/ニューラリーXの開発元であるナムコがリードしていくことになります。
そして、それからしばらくの間「ナムコ一強時代」といえる先駆者ナムコの独走状態が続きました。
この時代、ライバルとしては以下のようなメーカー(各メーカーの音楽付き初期タイトルも書いておきます)がいましたが、とくに「音楽」に関しては、質・量ともにナムコが他社を大きく引き離し、圧倒的地位を築いていったのです。
タイトー
ルナレスキュー(1979年11月、上述)
バルーンボンバー(1980年4月、上述)
アルペンスキー(1982年、オリジナルBGM)
セガ
カーニバル(1980年6月、上述)
ペンゴ(1982年9月、既存曲BGM)
任天堂
ドンキーコング(1981年7月、オリジナルBGM、兼岡行男さん作曲)
コナミ
スクランブル(1981年3月、メロディックなジングル)
フロッガー(1981年、既存曲BGM)
日本物産
ムーンクレスタ(1980年7月、メロディックなジングル)
クレイジークライマー(1980年11月、部分的にBGMが付いているが既存曲)
では、なぜこの時代にナムコが音楽において圧倒的優位に立てたのか?ということを考察してみましょう。
ナムコ独走の3つの要因
「ナムコ一強時代」の要因として、以下の3つが挙げられます。
- ギャラクシアンとパックマンの商業的成功
- いち早く投入された波形メモリ音源
- 業界初となるサウンド専任スタッフの採用
商業的成功
まず「ナムコ一強時代」の第1の要因である商業的成功ですが、インベーダーブームに追従する形で出したギャラクシアン(1979年)がヒット。続いてパックマン(1980年)の特大ヒット。この2つの成功がその後に続くタイトルへの投資へ繋がったのではないでしょうか。
波形メモリ音源
次に第2の要因、波形メモリ音源です。
この時代(1980年代初頭)のゲームの音源というと、やっとPSG音源が普及しはじめた段階でした。
PSGとは「Programmable Sound Generator」の略で、1978年にGeneral Instrument社が開発した3和音(チップ種別により異なる)の音階付きサウンドを実現した音源チップです。
PSGの登場によって特殊なプログラムをしなくてもメロディーや和音が表現可能になりましたが、ゲーム機や家庭用PCに普及するのは1981年頃からのことです。
当時主流のPSGチップは8オクターブの矩形波3和音とノイズが出せるもので、1984年頃までのPC・ファミコン・MSX・ナムコ以外のアーケードゲームはほとんどがこのチップを搭載していましたが、PSGの音質はファミコンに代表されるいわゆる「ピコピコ音」で、音色バリエーションが少なく、電子音に音階がついたような感じでした。
そんな時代にナムコが投入したのがC15(少し後には改良型のC30)という波形メモリ音源チップで、別名「ナムコPSG」「WSG」などと呼ばれ、当時、他社のPSG音源のタイトルとは一線を画すものでした。
波形メモリ音源とはザックリいうと、PSGとFM音源(1985年頃から登場。音色を自分で作ることができる)の中間のような音源と表現したら良いでしょうか。
FM音源のようにユーザーが波形(音色)をエディットすることはできませんでしたが、あらかじめチップに記録してある特定の波形(音色)を再生していく方式です。
原理的にはPCM音源に近いのですが、音の印象は音色のバリエーションが広がったPSGというイメージでした。
波形メモリ音源の投入時期
ナムコの波形メモリ音源ですが、どの段階から投入されたのか?というのは、ネットの情報でも諸説あるようです。
- 1980年のパックマンから
- 1981年初頭のニューラリーXから
- 1981年秋のギャラガから
- 1982年後半のスーパーパックマン(マッピーと同じ基板)から
- 1983年春のマッピーから
これは自分も正確な事がわからなかったのですが、読者様からの情報によると、1.の1980年パックマンからだったとのことです。
つまりナムコは一般的なPSG音源などは使用せず、ごく初期の頃から独自開発した波形メモリ音源を使っていたということですね。
ちなみに、パックマン以前のギャラクシアンになると、音源にメモリを使用しておらず、発振器の抵抗値を変えることで波形を生成していたようなので、波形メモリ音源はパックマンからとしました。
波形メモリ音源といっても、初期のパックマンからポールポジション(1982年9月)あたりまではチップになっていない音源回路で、1音しか出なかったのを高速切り替えで疑似的に2和音や3和音にしていたというから驚きですよね。
音源チップ化されてネイティブで8和音出せる「C15」が採用されたのは、1982年後半のスーパーパックマンから。つまりマッピーHARD以降ということです。
ちなみに、ナムコの地位を不動のものにした名作シューティングゲーム『ゼビウス』は1983年1月稼働開始ですが、旧世代の「ギャラガHARD」で開発されていますので、C15は未搭載(つまり高速切り替え)でした。
音源チップによる音の違い
この波形メモリ音源ですが、比較的安価で実現出来たため、後に他社の様々なハードに採用されています。
具体的には、コナミバブルシステムと、その応用であるSCC音源(コナミがMSXのカートリッジに採用)、ファミコンディスクシステム、ゲームボーイ、PCエンジンなどですが、メーカーやチップによって音色の個性がありました。
- 元祖であるナムコC15/C30は温かみのあるオルガン系の音色
- コナミバブルシステムのものはグラディウスに代表されるようなきらびやかな金属系の音色
- 任天堂のものは揺らぎのある笛系の音色が得意
といった具合ですが、ナムコとコナミは波形メモリ音源への開発投資に注力した結果、他社よりもFM音源導入が遅れる(任天堂は1985年以降はファミコンに注力してFM音源自体をスキップ)という結果にもなってしまうのですが……。
サウンド専任スタッフ
最後に、第3の要因「サウンド専任スタッフ」についてお話します。
この時代はプログラマーやゲームデザイナーがBGMや効果音も作るという制作スタイルが一般的でした。
そんな中で、ナムコが他社から抜きんでた理由の一つとして、他社に先んじてサウンド専任スタッフを採用したから、ということが大きな要因としてあります。
ナムコ一強時代には、3人のサウンド専任スタッフが活躍しました。
大野木宣幸さん、慶野由利子さん、小沢純子さんの3人を以下の記事で紹介しています。
大野木宣幸
1980年入社。代表作はマッピー、ポールポジション、リブルラブル、メトロクロスなど。
慶野由利子
1981年入社。代表作はディグダグ、ゼビウス、ドラゴンバスターなど。
小沢純子
1983年入社。代表作はギャプラス、ドルアーガの塔、スカイキッドなど。
この時代(1980年から1983年頃)、ナムコの3人以外以外ではタイトーの今村善雄さん(ZUNTATAの初代リーダー、1979年から1984年頃のタイトー作品の作曲を担当。代表作はエレベーターアクション・ちゃっくんぽっぷ等)や任天堂の兼岡行男さん(代表作はドンキーコング、ファミコン初期作品群)が活躍されていました。
――次回は、黎明期のPCや家庭用ゲーム機のゲーム音楽について考察します。
コメント
ナムコの波形メモリ音源第一弾はパックマン。まだチップになっていない音源回路。発音数は1だが超高速で切り替えることで、疑似的に同時発音数3を実現。以後の音源チップもこの方式を踏襲。
ギャラガ、ディグダグ、ゼビウス等、同時発音数3のゲームはすべてこれで、ポールポジションも同じだが、音程精度を犠牲にして同時発音数4を実現している。
C15が初めて使われたのはスーパーパックマン。同時発音数は8、波形メモリは8(ROM)、ノイズ発音不可のためノイズ(爆発音)用にC54と併用される事も多かった。採用ゲームはマッピー、リブルラブル、ドルアーガの塔、トイポップ等。
C30はパックランドから採用。波形メモリは16(RAM)でプログラムから設定可能、バンク切り替えも可能、ノイズ発音も可能。同時発音数は8だが、音質を犠牲にすれば16音モードも可能。ただし16音モードが使用されたゲームは無い。
初期は音量が4ビット、中期は15ビット、後期は4ビット×2でステレオ化された。ナムコシステム86および87(システム1)ではFM音源が搭載されたため、ほぼ効果音専用で使われたが、ホッピングマッピー、ワールドスタジアム、ドラゴンスピリット、フェイスオフ等では音楽用にも使われた。システム2以降は高性能PCMチップC140が採用されたため、以後搭載されなくなった。
正確な情報をありがとうございます!
ネットで調べてもなかなか解明できなかったんですよね。
該当箇所を加筆修正させていただきます。
迅速な対応、恐れ入ります。
以上の情報は「シューティングゲームサイド Vol.8 (GAMESIDE BOOKS)」のナムコ音源伝説(石村繁一、田城幸一、小川徹、慶野由利子各氏のインタビュー)に依ります。
AMAZONで電子書籍版が発売中です。 Kindle版 \1028
位下、参考になりそうな動画をご紹介いたします。
OBSLive 2011/8/20 慶野由利子さんゲスト回
https://www.youtube.com/watch?v=LK0E3zmKxbE
アーケードゲーム『バラデューク』30周年イベント-高橋由起夫、岸本好広、慶野由利子他
https://www.youtube.com/watch?v=0vitz2_XlQo
追加です。C30ソフト音源のKAMATAに関する特集です。
『バナスタサウンズナマスタ』 第1回 YouTubeLive初放送スペシャル!
https://www.youtube.com/watch?v=CWd6I85wk_E
重ね重ね、ありがとうございます。
自分はハードウエア知識面など、力不足もあると思いますが
ゲーム音楽の魅力をもっと広めたいという気持ちから
この企画をやっています。
資料的な完成度を上げるためにも、
ご指摘いただけるとたいへんありがたいです!
ファミコン時代のベースラインがシンプルだったのはこうでもしないと、メモリに入りきらないという苦肉の策でした。
この時代はアーケードですら、メモリが少なくて苦労することがあり、あの有名なアウトランも当初はLAST WAVEが入らず、他の曲を最適化してどうにか収めたとのことです。
PPPさん、コメントありがとうございます。お詳しいですね!
80年代当時はメモリ不足の問題もかなり大きかったでしょうね。
キロバイト単位でしたし。
アウトランは当時としては1ループ長かったしアレンジも音色も凝ってたから容量的にキツかったのは想像できます。
少し前のファンタジーゾーンは当時としてはベースラインが凝っていましたね
あのスラップの使い方は衝撃的でした。
あと、3和音環境での凝ったベースラインは
アレンジ詰めるのがすごく大変で下手にやると楽曲バランス崩壊するので
開発期間や人員の問題もあって(昔は一人で短期間で音色・効果音・サウンドデバッグまで全部やってたり)
ベースラインは無難にルートを鳴らしていた。
というのもありそうです。
そのへんもう少し考察して加筆するかもです。