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初期の家庭用ゲーム機~ファミコンの登場まで【ゲーム音楽史05】

前回の8ビットPCに続き、今回はファミコン発売までの初期のゲーム機について、ざっくりとですが触れておきたいと思います。

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Atari2600

1977年にアメリカAtari社がカートリッジ式ゲーム機Atari2600を発売して大ヒットしました。

Atari2600

Atari2600にはパルス1音+ノイズ1音というサウンド機能が備わっていました。
サウンド機能は後述のカセットビジョンと同等でしょうか。

同時期の『AppleⅡ』といい、当時のアメリカは日本より3~4年は進んでいた感じです。

自分はこれが世界初ののカートリッジ式ゲーム機と思っていましたが、視聴者様のご指摘によると世界初はフェアチャイルド・チャンネルF(1976年)ですね。

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カラーテレビゲーム15

日本では同時期1977年に任天堂が『カラーテレビゲーム15』を発売しています。

任天堂カラーテレビゲーム15

これの単機能版の『ブロック崩し』(1979年発売)が友人宅にあって、よく遊びに行っていました。

これらは単音の効果音が出せる程度のサウンド機能で、まだ音楽は無理でした。

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カセットビジョン

1981年にエポック社からカートリッジ式の『カセットビジョン』が発売されます。

カセットビジョン

これは単音メロディ+効果音が出せました。
このあたりでサウンド機能はようやくアメリカのAtari2600に追いついた感じです。

グラフィックはドットが粗すぎてなんともシュールな感じでしたが。

これまた友人宅で遊んでいたのですが、『きこりの与作』の『ヘイヘイホー、ヘイヘイホー』は憶えています。

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ゲーム&ウオッチ~ポータブルゲームの流行

このあたりの時代、まだTVゲームは機能のわりに高価で、持っている家庭はごく一部でした。

代替品として子供の間では『ゲーム&ウオッチ』に代表されるポータブル型の単機能ゲームが流行していました。

ゲーム&ウオッチ

自分もゲームウオッチ他のLCDゲーム数種類と、トミーの『パックマン』などの電子ゲームを持っていました。

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ぴゅう太・ゲームパソコン

日本で初めてのPSG搭載のゲーム機というのを考えてみたんですが、一つの候補はトミーから1982年8月に発売された『ぴゅう太』でしょうか。

ぴゅう太

最近調べていて知ったんですが、『ぴゅう太』はBIOSからPSGがコントロールできるようですね。

このあと11月に、ゲーム音楽史02で触れた、タカラ『ゲームパソコン』(=ソードM5のOEM)が出ています。

当ブログではMSX・MSX2をPCに入れているので、これらをコンシューマーに入れるかPCに入れるかは微妙なところで『ぴゅう太』が国産初のPSG搭載コンシューマーゲーム機である、というのは意見が分かれるところと思います。

これらいわゆるホームコンピュータ、ゲームパソコンなどと呼ばれるものは、主に玩具メーカーが製造してほかにも何機種か発売されていますが、ゲーム機としては値段が高く、PCとしては機能が弱かったのでファミコンやMSXが出回るとユーザーはそちらに流れてしまいました。

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アタリショック

1982年から1983年ごろにかけて、アメリカではいわゆる『アタリショック』が起きています。

詳しくはwikipedia等を見ていただくとして、簡単に説明すると、Atari2600からのTVゲームブームに様々なメーカーが新規参入して質の低いゲームソフトを乱造した結果、ユーザーのゲーム離れが起きて、アメリカのゲーム業界全体が低迷するという事態になりました。

日本ではこの年代はまだそんなに大規模な市場は無かったし、これの影響は軽微だったと思います。

後にファミコンが『NES』として欧米展開すると(1985年)、これが大ヒットしてアメリカのゲーム業界復興のきっかけになっています。

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ファミコンの登場

1983年7月15日

任天堂『ファミリーコンピューター
セガ『SC-3000/SG-1000
が発売されます。
この二機種は発売日が同じでした。
MSXが出たのもほぼ同時期です。

ファミリーコンピュータ
任天堂 ファミリーコンピューター

セガ SG-1000
セガ SG-1000

PSG搭載の国産コンシューマー機といいきれるのは、これらが初でしょうか。

この時期、他にもいくつかのゲーム機やゲームパソコンが発売されていますが、表示機能に優れるファミリーコンピューターが主導権を握ることとなります。

ファミコンのPSGはカスタムチップが使用されていて、当時主流のものより音源性能も少し上でした。

以降、多くの人が知っている『ファミコン』の歴史がスタートするのですが、初期のファミコンソフト業界も黎明期であり、8ビットPCのゲーム業界と同じような状況でした。

ファミコンのゲーム音楽も、アーケード移植のものは別にして、ご本尊の任天堂は音楽にはまだ本腰を入れておらず、他メーカーはまだまだ開発力・資金力が乏しかったため、初期のファミコンのゲーム音楽も同時期のPCのものと似たり寄ったりのレベルでした。

ゲーム自体は任天堂製のものは非常にクオリティが高かったと思いますが、ファミコン独自のゲーム音楽の発展は、1985年のスーパーマリオブラザーズあたりからですね。

――このように、1984年ごろまでは、まだ日本の家庭用ゲームやPCゲームの業界は立ち上がりの時期で、音楽の質もナムコを筆頭とするアーケードゲームに太刀打ちできるものではありませんでした。

次回は変革の年『1985年』の前夜である1983年後半から1984年の状況を自分の体験も交えながら書きたいと思います。

ゲーム音楽史 前回

初期の8ビットPCと日本のゲーム業界事情【ゲーム音楽史04】
ゲーム音楽史 第4回は、Apple2・PC-8001からPC-8801・FM-7・X1の『御三家』といった初期PCゲームの音楽と、黎明期のPCゲーム業界についてです。

ゲーム音楽史 次回

大変革前夜~1983年から1984年頃の状況【ゲーム音楽史06】
ゲーム音楽史 第6回は『ナムコー強時代』から大変革があった1985年への過渡期となる1983年後半から1984年のゲーム音楽の状況について書いています。

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