さあ、唐突に始まりましたこの新連載、予告では『ゲーム音楽雑記帳』の開始予定でした。
でも、下書きしていくうちに、この『ゲーム音楽の想い出』のネタが結構な文章量になりそうだったので、独立連載シリーズとしてお届けすることとなりました。
この連載企画は、このブログの最初のほうの記事の『自分とゲーム音楽の関わり』で書いたようなことを、もっとリアルに思い出して書いてみよう、というものですね。

いろいろ考えながら下書きした末、現状、面白く書けそうなのがこのネタでした。
ゲーム音楽史の内容も振り返りつつ、時代考証とともに書いてみようと思います。
ボードゲームからビデオゲームへ
自分、BGMが幼少のときは、ボードゲームがブームでした。
タカラの人生ゲームとか、その元ネタのモノポリーとか、バンダイのボードゲームシリーズとか、家族や友達とワイワイやっていましたよね。
1978年~1979年にスペースインベーダーブームがあり、新しいテクノロジーの台頭とともに、ゲームの主流・世間の興味もボードゲームからTVゲームへと徐々に移っていきます。
BGMがTVゲームに興味を持ち始めるのは1981年~1982年のあたりです。
ファミコンが出る1~2年前で、まだまだボードゲームブームが隆盛だった時期です。
当時はスペースインベーダーブームを受けてナムコを中心としたアーケードゲームが数多く出始めていました。
ゲームセンターあらし
『ゲームセンターあらし』(すがやみつる 1978年~1983年連載)という漫画がヒットして、TVアニメ化もされてましたよね。
熱血スポ根系ゲーム漫画というシュールな世界でしたが。
炎のコマ~~!!
ゲーム操作するのに、宙返りしたり、ヨガのポーズしたりとか、アクションでかすぎて反応遅くなるだろww……というツッコミは無しで。
あの漫画で扱っていたのは、インベーダーとか平安京エイリアンとかだったので、インベーダーブームからのごく初期のアーケードゲームですね。
家庭用ゲーム機はまだ普及していなかった
1980年~1981年当時は、家庭用ゲーム機といえば『ブロック崩し』(任天堂)でした。
1家庭にTV1台というのが普通で、TVゲームを繋いである家はまだ少なく、持っている家は子供の溜まり場になっていました。
当時はいろいろとおおらかな時代でしたよね(-.-)(しみじみ)
ファミコン以前の家庭用ゲーム機の歴史の記事もありますので参考にどうぞ。

子供の資金力で買えるのは『ゲーム&ウオッチ』などのLCDゲームやポータブル型の固定表示の電子ゲームでした。
貸し借りしてやってましたよね。
ファミコンの普及以前はドット単位で動く、ゲーセンにあるようなビデオゲームは憧れの象徴でした。
パックマンなど、トミーの電子ゲーム
BGMもご多分に漏れず、ゲーム&ウオッチなどを友達と貸し借りしてやっていたんですが、それと同時期、多分1981年の誕生日に買ってもらったものと思われますが、トミーから発売されたポータブルゲーム版の『パックマン』を持っていました。
色んなところにもっていって、ずーっと飽きずにやっていた記憶があります。
あれってトミーがナムコにライセンス料を払って売っていたものと思いますが、かなり売れたみたいで、持っていた人も多いと思います。
これはアーケードゲームやテレビゲームのようにドット単位で動くものではなく、電光掲示板?のようなあらかじめ決まったパターンが操作に応じて光る、というものでしたが、効果音と簡単なメロディーが出ました。
当時はまだアーケードゲームもカセットビジョンも未体験でしたので、メロディー付きのゲームサウンドに触れた体験はこれが初めてと思います。
ゲームから出る音を『音楽』として認識しはじめるのはもっと後のことですが。
今考えると当時の安価なポータブルゲームとしては音もゲーム性も凄く良くできていたと思います。
そのあと、弟が同じトミーの『ケイブマン』を買って、同じシリーズの『スクランブル』も持ってましたので、トミーの電子ゲームはかなりのお気に入りだったと思います。
友人宅にあったカセットビジョン
そんな時代でしたが、1982年の春~夏かな?(暑かった記憶があるのでたぶん夏頃)最新鋭のTVゲーム『カセットビジョン』を近所の友人宅が購入したので、その家に毎日のように押しかけてゲームに講じていました。
外で遊んだ帰りは、友達や弟とその家でゲームをやって帰る、みたいな迷惑な子供でしたが、その家のご両親も子供好きだったので、可愛がっていただきました。幸せな思い出です。
1982年頃から駄菓子屋でのアーケードゲーム体験
駄菓子屋に設置してあったアーケードゲームを冷やかしはじめたのも1982年頃と思いますが、通っていた小学校の何軒か隣の駄菓子屋にあった『ムーンクレスタ』が最初です。
そのあと1982年終わり頃から別の駄菓子屋に『ムーンパトロール』が登場したので、それをやるために通いました。確か1ゲーム20円。
インベーダーブーム以降、地方の駄菓子屋でも子供向けに型落ちのアーケードゲームを設置しているところがたくさんあって、10円~50円でプレイできました。
色んなゲームをやりたかったので、自転車で違うゲームが置いてある遠くの(といっても子供の行動範囲だから1~2kmくらい)駄菓子屋まで遠征したりもしました。
初期のアーケードゲームについては以下の記事にまとめてあります


1982年~1983年にかけて
- パックマン
- ラリーX
- ボスコニアン
- ディグダグ
- ギャラガ
- ドンキーコング
- バーニンラバー
などのアーケードゲームを駄菓子屋で体験しました。
今考えると、発売後半年~1年経つと駄菓子屋に型落ち基板が回ってきて、子供向けに安く提供していた、とう感じですかね~。
次回は1983年頃の話で、ファミコンやMSXの発売とPCへの興味の芽生え、みたいなことを書こうかと思います。
ゲーム音楽の想い出 次回

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