1987年後半からギターとバンド活動に熱中してゲームをやらなくなったBGMですが、1990年~1991年にかけて、少しだけゲーマーに復帰していた時期があります。
その期間中にフラメンコギターをはじめたりして、しばらくして音楽学校に通い始めることになるのですが、今回はその時期の想い出です。
1990年あたりから少しゲーマー復帰
高校卒業したあとは、自分は音楽の道に行きたかったんですが、周囲は反対していたので、一年くらい進路で悩んで、浪人という名目でニートをやっていた時期がありました。
高校時代に盛んにやっていたバンド活動も仲間が就職や進学で居なくなったため、以前ほどバンド活動をやらなくなり(メタルバンドは解散、フュージョンユニットは自分のソロ名義で継続していた)、時間が余るようになったので、またゲームに手を出すようになります。
ギターの練習に飽きると、家に転がっているMSX2(88FRを譲った友人にもらったもの)やファミコンでゲームをやっていました。
なので、1980年代末から1990年代初頭くらいのファミコン・MSX2タイトルはリアルタイムでやってたりします。
あとは、たまにですが、ふらっとゲーセンに遊びにいったりもしてました。
この時期は進路で悩んだりして本人的には結構しんどかったんですが、周囲から見ると進学も就職もしないで、ギターとゲームばかりやってて能天気に見えたことと思います。
まあ、今から考えると天国のような状況ですが、自分でお金を稼げない、将来どうしたらいいのかわからない、というのはどうしようもなく不安なものです。
1990~1991年頃のゲーム音楽体験
1990年頃というとスーパーファミコンの発売前後の時期にあたります。
当時の時代背景は以下の記事も参照してください。

この時代はコナミのゲーム音楽が凄かった
1980年代末頃のゲーム音楽名作タイトルについては『ゲーム音楽史』のほうも見ていただくとして、今回は『想い出』というテーマなので、1990~1991年頃の自分の実体験を書こうかと。
自分がやっていたのは初代ファミコンとMSX2でしたが、1980年代後半から1990年代初頭あたりは、コナミのファミコン&MSXのゲーム音楽が神レベルでした。
まずはコナミタイトルをまとめて書きます。
がんばれゴエモンからくり道中
発売は1986年ですが、自分がプレイしたのは少し後からです。
1980年代後半は和風要素をゲームに取り込むのがトレンドになっていて、世界観や音楽に和風要素が入ったものが急増しました。
そうしたもののなかで、ゴエモンはゲームとしての完成度が飛び抜けていました。
音楽もインパクトがあって『感動する』というのと質が違いますが、刷り込み効果が半端ではないです。
火の鳥
これも発売は1987年ですが、自分は後追いプレイでした。
ファミコン版、MSX2版両方やりました。
ファミコンとMSXでゲーム内容も音楽も全然異なるんですが、どちらも凄く良くできていたと思います。
エンディングで流れる曲は映画『火の鳥~鳳凰編』のテーマ曲でもあり、当時、渡辺典子さんが歌っていましたよね。
この曲の作者は宮下富実夫さんで、プログレやヒーリングミュージックをやっていて、喜多郎などと一緒に活動していたという人です。
スナッチャー
サイバーパンク・アドベンチャーゲームです。
MSX2版はSCC音源専用のカートリッジが同梱されている、というこだわりようでした。
コナミMSXのSCC音源はベースの音良かったですよねー。
半年くらい前にこれのタイトル曲を演奏しました。

悪魔城伝説
以前、代表曲の『ビギニング』を演奏しました。

自分は初代ファミコンでは一番音楽が好きな作品です。
PSGベースのものでしたがカートリッジに拡張音源を積んでいて、重厚な音を出していました。
ゲーム自体はやたらと難しかったのは覚えてますが、なにしろこの作品は音楽の印象が圧倒的でしたので。
――この時期のコナミ作品は音楽が本当に素晴らしいタイトルが多くて、自分がリアルタイムでやってないものだと
- 月風魔伝
- ファルシオン
- 悪魔城ドラキュラ2
- 魍魎戦記MADARA
- ラグランジュポイント
- エスパードリーム1,2
などがあります。機会があったらぜひ聴いてみて下さい。
MOTHER
音楽に関して、個人的には初代ファミコンの任天堂作品ゲーム音楽では最高傑作と思います。
『ゼルダの伝説』や『パルテナの鏡』も傑作と思いますが、曲数などの全体のボリュームが『MOTHER』のほうが圧倒的なので。
MOTHERの解説と『ポリアンナ』ソロギター演奏

ダライアス2
この時期、たまーにゲーセンでアーケードゲームを冷やかしていましたが、音楽で印象に残ってるのは、ダライアス2です。
ラスボス戦の『say PaPa』を1年前に演奏しています。
アレンジと録画結構大変だった~。

この時はもうゲームやPCの雑誌も読んでなかったので、2が出たのを知らなかったんですが、ふらっと入ったゲーセンで存在を知りました。
ダライアスの音楽の素晴らしさは知っていたので、ダライアス2の音楽を聴くためにそのゲーセンに何回か通った記憶があります(←行き付けのレンタルCD屋の帰りに寄るのがルートになってた)。
上手い人がやってるのを近くで観賞っていう怪しい状態でしたがww
実地体験できなかった名作
この時期、ドラクエ、FF、メガテンの初期作品が何作品か出ていますが、その辺はリアルタイムではほとんどプレイできてないんですよね。
ほんとに悔やまれます。
ドラゴンクエスト3,4
この時期、ドラクエは3,4が出てますが、自分は3はスーファミ版、4はかなり後からのプレイです。
ドラゴンクエスト3 おおぞらをとぶ ソロギター演奏

ファイナルファンタジー1,2,3
FFに関しては3まで完全にスルーしてしまって、スーファミの4からプレイなんですが、プレリュード、メインテーマの二曲は1からずっと受け継がれてる名曲です。
ファイナルファンタジー プレリュード&メインテーマ ソロギター演奏

FF3は音楽だけ聴いても傑出した出来と思います。
女神転生1,2
メガテンもファミコン版はスルーしていて、(88版を除くと)プレイしたのはスーファミの真・女神転生シリーズからなんですよね。
メガテン1,2はスーファミ版の旧約・女神転生版をプレイしました。
増子司さんの音楽はメタル要素と癒し要素が混在していて独特です。
自分はスーファミ音源のイメージが強いですがファミコン音源もこれはこれで味があります。
浪人期間中にフラメンコギターをはじめる
浪人生という名目でニート生活(バイトはしていた)をしていたBGMですが、進路に関しては、周囲には反対されてましたが『絶対、ギターで食っていってやるわ~』と思っていました。
なので、この期間中もギターのレッスンに通ったり、本で独学したり、フュージョンユニットの活動をしたり、4chのカセットMTRで音源を作ったり、かなり頑張ってやってたように記憶してます。
この期間中にパコ・デ・ルシアのCDを聴いてフラメンコギターに興味を持ち、中古のクラシックギターとフラメンコギターの教則本を調達してきて、練習していました。
クラギはブリッジを削ってフラメンコ仕様に改造しましたが、元の作りが弦高下げられるようになっていないので、音がビビりまくりでしたがw
そうやって記憶を辿ってみると、フラメンコギターを始めたのは18歳のときですね。
東京の音楽学校に通うことにする
そして、1991年に入ったあたりで『もう大学進学は辞めて東京の音楽学校に通う!』と決めて、親にも宣言しました。
その音楽学校ですが、周囲の反対を押しきって行く形だったので、親にはお金を出してもらえず、東京の1人暮らしは経済的なハードルが高かったです。
そして学費的にも全日制の音楽学校には通えませんでした。
そこで、学校に相談して、自分にとって必要なレッスンを幾つか選んで単科受講、週に一回、東京まで通うという選択をしました。
そして、折角東京に行くならと、練習しはじめていたフラメンコギターも、東京の先生について週に一回、レッスンに通いはじめました。
移動は新幹線は高いのでなるべく東海道線で頑張りました。
片道三時間半。
学費と交通費で月7~8万くらいだったかな。
アルバイトで何とかなる額でした。
弟の家のスーパーファミコン
東京の宿として、東京に就職していた一つ下の弟の部屋によく泊めてもらってました。
弟の家にはスーパーファミコンがありました。
そこで弟と二人で徹夜で色々やりましたね。
当時、弟の家でやったスーファミ作品の音楽で印象深かったのは
ファイナルファンタジーⅣ
F-ZERO
スターフォックス
あたりです。
とくにFF4は映画音楽のようでよく出来ているなぁ、と思っていました。
ちなみに、この時期のゲーム音楽の名作、アクトレイザーは少し後になってからやりました。
そうやって、弟の家で最新のゲームに触れる機会はありましたが、1991~1993年頃はなんとかギターで食っていきたいと思って、レッスンのための東京通いと、バイトと、家ではギターの練習を必死でやってたので、音楽学校に通っていた1991~1993年頃は、自宅でゲームをする余裕はありませんでした。
――この後、1993年後半からスーファミでゲーマーに再復帰するのですが、次回はそのあたりから~。
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