「改訂版ゲーム音楽の想い出」第1回では、BGMの幼少期からファミコンを購入する1984年末までの事をお話しました。
子供時代の思い出って、ほんとに楽しいことばかりでした。
今回は、BGMが本格的にゲーム音楽にハマっていった1980年代後半から、ギターに熱中していく時代のお話です。
ゲーム音楽にはまっていったのと、一般の音楽や楽器演奏への興味が高まっていったのが、ほぼ同時だったので「どちらが先か?」というのは判然としないんですが、音楽自体への興味と、急激に進化するビデオゲームへの興味が合体して、この時代のゲーム音楽にハマっていったんだと思います。
今回は一般音楽の話から入ります。
インスト・フュージョン音楽への興味
当ブログ管理人=BGMは1985年頃から自発的に音楽に興味を持つようになりました。
自分の家は親が楽器などをやっていたわけでもないし、ピアノなどの習い事をやっていたわけでもないんですが、父親が音楽が好きで、家に大きなステレオがあって、ビートルズ・国産のロック&フォーク・クラシック音楽などが常に流れていました。
テレビから流れるアニソンや歌謡曲なども好きでしたが、そういう父親の趣味の影響で音楽に徐々に興味を持ったというのはあると思います。
当時、自分が一番興味を持った音楽は家にあったラジオで偶然聴いたスクエアやカシオペア、プリズムなどの国産のインストフュージョンでした。
歌ものではなく、インストから入るというのは、ゲーム音楽の影響もありそうですが。
そういうフュージョン音楽は楽器演奏を中心に据えた音楽だし、やがて楽器を演奏するということにも強烈な憧れを持つようになります。
50円ゲーセンの登場
1985年に入ると、50円でゲームが出来るゲーセンが多数出て来ました。アーケードゲームも大発展期に入り、ゲーセンも増えて競争も激しくなったんでしょう。
BGMも50円のゲーセンまで自転車でチャリチャリ行くようになります。
1ゲームが半額になった、ということで、ゲーセン通いも活発になります。
50円ゲーセンはこのあと1987年前半頃まで通うことになるので、足かけ2年間ほどですね。
この間、たくさんの素晴らしいゲーム音楽に出合いました。
1985年にやったもので音楽が耳に残っているのは、春のツインビー、グラディウス(コナミ)、メトロクロス(ナムコ)から始まり、秋頃はFM音源の魔界村(カプコン)、影の伝説(タイトー)、テラクレスタ(日本物産)、そしてとどめは年末あたりから稼働したスペースハリアー(セガ)です。
1985年後半からは各社ともFM音源に対応してきていますよね。この時代(1985年前後)のゲーム音楽やFM音源に関してはこちらの記事で詳しく書きました。
自分は、この時期からゲーム音楽をハッキリ「音楽」として意識して聴くようになりました。
年末のスペースハリアーの段階になると興味が音楽に傾いていたので、ゲーム音楽を聴くのも「この音色は何の楽器だろう?」とか「ベースラインはどうなってるの?」とか、音楽脳で聴きはじめていたと思います。
FM音源搭載PCの発売
1985年1月にNECが世界初のFM音源を搭載したPC、PC-8801mkⅡSR(以下、88SR)を発売します。
FM音源は、それまでのゲーム音楽の主流だったPSG音源(ファミコンやMSXもこれ)と異なり、音色をエディットできるもので、いわばPCにシンセサイザーが内蔵されているようなものです。
88SRとFM音源については、上にリンクした「ゲーム音楽史03」の記事も参照してください。
当時、たまに冷やかしていたPC専門ショップがあったんですが、その店頭にも88SRが登場してデモプログラムが流れていました。
そこで始めてFM音源の音色を耳にして「なんじゃこりゃー、アーケードゲームよか音いいじゃん!」と大興奮したのをおぼえています。
MSXを売ってFM-NEW7を購入
音楽にも興味を持ちはじめていたBGMは、88SRが欲しくてたまらなくなりますが、モニターとあわせると30万円くらいしたので、とても手が出る値段ではありませんでした。
でも、ベーマガを読むことでPCゲームの世界を知ってしまったのでMSXでは物足りなくなってきていたし、なんとか手の届く範囲内でマトモなPCを手に入れようと思って中古相場などを調べました。
そしてMSXを下取りにして中古のFM-NEW7を購入することにします。1985年春のことです。
これは、MSXのベーマガリスト打ち込みなどでTVを占拠されることに辟易していた親も二つ返事でokしてたような(笑)
FM-NEW7は1982年に発売された「御三家」の一つ、FM-7の廉価版です。
1985年時点では性能的に周回遅れですが、MSXとは表示能力が桁違いで、あまり動きのないシミュレーションやRPGをやるのには適していました。
――FM-NEW7では当時憧れだった本格的なRPGの世界に足を踏み入れました。
コーエーの初期作品のダンジョン(1983年)、アクションRPGの草分け、カレイジアスペルセウス(コスモスコンピュータ、1984年)、ハイドライド(T&Eソフト、1984年)、国産RPGの名作、ブラックオニキス(BPS、1984年)などです。
「世の中にこんなに面白いものがあるのかー」と思って熱中しましたね。
スーパーマリオ発売
FM-NEW7をいじっていた頃は、ファミコンのゲームも相当やっていたのですが、1985年9月に発売されたスーパーマリオブラザーズはファミコンオリジナルの作品としては驚愕の完成度でしたよね。
自分は最初、友達宅でやっていたのですが、あまりに面白かったので自分の家でも購入したおぼえがあります。
近藤浩治さんによる音楽もバラエティーに富んでいて、楽曲のボリュームやクオリティーも素晴らしく、それまでのファミコンのゲーム音楽のイメージを打ち破るものでした。
PC-8801mkⅡFRを購入
ゲーム音楽の世界では、1985年の1年間で瞬く間にFM音源が普及しました。
上で書いた通り、BGMはFM-NEW7でRPGなどをやりはじめていましたが、音楽への興味がどんどん大きくなっていった時期と重なって、FM音源搭載PCへの憧れは抑えようがないものでした。
あと、FM-NEW7はフロッピーディスクが付いていなかったので、ゲームするたびにカセットテープ(!)から10分か20分の読み込みをしなければいけませんでした。
ピーーガガガ……っていうやつです。
FM音源とフロッピーディスクが付いているPC-8801mkⅡSRが欲しくてしかたなかったんですが、なかなか買える値段ではなかったので、お金を貯めつつ中古相場をずっと観察していました。
そんなときにタイムリーに発売されたのが1985年11月発売のPC-8801mkⅡFR(以下、88FR)です。88FRは88SRの廉価版で、なんと定価で10万円近くの値下げでした。
しかもその翌月に、88FRの中古が出ているのを見つけたのです。新品同様で2割引きほどの値段で出てたと思います。
それを見たら、もう何がなんでも欲しくなってしまい、弟と二人がかりで両親を説得して購入許可を得ると、FM-NEW7を下取りに出して夢のマシンを手に入れます。
買ったのは確か1985年の年末で、ザナドゥ(日本ファルコム)が発売されて少し経ったくらいのタイミングで、本体と同時にザナドゥを買ってやり込みました。
そしてこれもドンピシャのタイミングなんですが、1986年の年明けあたりから、YK2こと古代祐三さんがベーマガにPC88SR向けにゲーム音楽のMMLダンプリストを投稿しはじめます。
スペースハリアーに続きファンタジーゾーンなど、1986年に発表されたものはすべて打ち込んで、アレンジや音色を変えて遊び倒したものです。
MMLと初期のDTM
ここで、これまで数回登場しているMMLという用語を解説しましょう。
MMLは「ミュージック・マクロ・ランゲージ」の略で、初期のPCで使われていたBASIC言語上で音源をコントロールして音楽をプログラム演奏させよう、ということで考案されたものです。
音名をABCで打ち込んで音の長さとか大きさを指定して、FM音源なら音色指定もして、というもので、楽譜を英数字の羅列に変換してコンピュータで処理できるようするわけです。
その当時、DTMという言葉はまだ無かったんですが、シンセサイザーやステップシーケンサーなどは既に出回っていて、それらをコントロールするMIDI規格も普及し始めていました。
テクノなどのジャンルはシーケンサーと音源がないと成立しませんよね。
これをPC上のプログラム言語と内蔵音源でやってしまおうというのは、DTMの発想そのものです。
古代さんなどのPC向け音楽プログラムも全てMMLで書いてありました。
このMMLを理解すれば、既存の楽譜をPCに打ち込んで演奏させることができるし、音色やアレンジなどを自分で好きに変更することもできます。
今のDTMでやっていることの基本的なことはMMLで出来たわけです。
自分も打ち込んだ音符や音色を自分で変更してアレンジを弄って遊んだりして、それは楽器を始める前のことだし、音楽制作歴で最初期の経験でした。
88FRを買って1年ほど後だったと思いますが、アニマルカルテットなる音楽制作ソフトを入手して作曲などにも手を出そうとしてましたが、今思うと猛烈に使いづらいもので、あまり使いこなせませんでした。
1986年はゲームとゲーム音楽にどっぷり
ゲーム音楽の変革期が過ぎると「ゲーム音楽第一次黄金期」と呼べるような時代に突入していきますが、その入り口である1986年は、自分もゲーム音楽にどっぷりはまっていった年です。
1986年のゲーム音楽のことはこちらの記事で詳しく書いています。
この頃、家では88FRとファミコン、外では活発にゲーセン通いしていて、友達とのファミコンソフト貸し借りや、PCソフトはレンタル屋で借りたりして、この年の主要ゲームタイトルは殆どやり尽くしたと言っても良いかもしれません。
1986年のアーケードゲームだと、セガのラテン路線であるファンタジーゾーン、アウトランとか、和風路線の源平討魔伝、奇々怪々とかの音楽に魅せられました。
ファミコンでは、ゼルダの伝説、ドラゴンクエスト、悪魔城ドラキュラの3作が衝撃的に音楽が良くて、自分の中でファミコンのゲーム音楽のイメージが大きく変わりました。
PCでは、クリスタルキングが曲提供したレリクス、古代祐三さんデビュー作のザナドゥシナリオ2&ロマンシアとか、浅倉大介さんが音楽を担当したDAIVAとか、エンベロープの効いた音色が素晴らしかったシルフィードとか。
楽器演奏への憧れ
1986年はゲームとゲーム音楽に一番ハマった年でしたが、一般の音楽への興味もどんどん増大していきます。
1985年に聴きはじめたフュージョン音楽から始まって、洋楽のロック・ポップやメタルなども徐々に聴くようになります。
この年くらいから『FMステーション』や『ミュージックライフ』などの雑誌を読んで、FMラジオ番組や深夜にやっていたMTV(マイケル富岡さんの)、「ベストヒットUSA」などをチェックするようになっていました。
そして1987年頃からは、いよいよ音楽と楽器演奏への興味が本格化してきて、やがてそれは、コンピュータやゲームへの興味を上回るものになっていきます。
電子キーボードは挫折、エレキギターへ
まず手に入れた楽器は電子キーボードです。
88FRのFM音源でアレンジの楽しさを知っていたので、色んな音色が出る電子キーボードは凄く魅力的に感じました。
でも、ピアノの基礎もないし、当時は音楽理論も全然わからなかったので、なかなか弾けるようになりません。
そうこうしているうちに、今度はハードロック・ヘヴィメタル系の音楽にはまりはじめたため、電子キーボードは挫折、楽器をエレキギターに持ち変えることになります。
エレキギターをはじめると、最初の半年くらいでかなり上達してバンド活動の誘いも受けるようになります。
すっかり気をよくしたBGMは、ますますギターにのめり込んでいきます。学校の勉強そっちのけで毎日5時間以上は練習してたと思います。
ギターに熱中してゲームは卒業?
ギターをはじめて以降、徐々にギターとバンド活動で手一杯になってきて、PCもゲームもやらなくなります。
当時の音楽活動としては、最初は同級生とメタル系のコピバンなどをやっていましたが、その後、オリジナル楽曲を演奏するインストフュージョンユニットなんかもやりました。
メタル+民族音楽のような謎の音楽性でしたが、それをきっかけに作曲をはじめたり、民族音楽に傾倒したことからフラメンコギターに興味を持って独学で練習し始めたりしています。
――次回はフラメンコギターに転向することになるスーパーファミコン時代から現在までの事を一気にお話します!
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