前回『ゲーム音楽の想い出』第2回ではファミコン発売から1984年前半くらいまでの話をしました。
今回は1984年後半あたりの話題です。
こうしてみると子供の時って1年の間に凄く色んな体験や出来事があってちょっとびっくりしますね。
では、いってみましょ~。
マイコンBASICマガジン
『マイコン大百科』を読んでPCに興味津々だったBGMですが、家族で行っていた書店の雑誌コーナーにPC関連の雑誌が置いてあるのに気がつき、ずっと気になっていました。
でも、そういう雑誌は『大人向け』の認識があったのか、なかなか買うまでいかなかったんですが、ついに、そのうち一冊『マイコンBASICマガジン 1984年7月号』を手に取ります。
それはX1版のゼビウスの特集が付録でついていて、それに引き寄せられました。
実際に読んでみると、ゲーム関連の記事や広告が多く、PCゲームやBASICプログラミングへの興味が一気に高まって、それから毎月購読するようになります。
マイコンBASICマガジン=ベーマガには、PCのアドベンチャーゲーム攻略記事や新作アーケードゲームの紹介、巻末には全国のゲーセンのハイスコアランキングなどが掲載されていました。
当時、PC雑誌はベーマガの他にログイン、ポプコムなどがありましたが、それらも買うようになりました。
月刊マイコンとか、月刊I/Oとか、電話帳みたいな厚さのもありましたねー。
電話帳系の雑誌には長大なマシン語ダンプリストとか載っていましたが、あんなん打ち込める人いるのかな?と思ってました。
ベーマガの1~2ページのBASICのリストですら、打ち込んでデバッグするのに2~3時間はかかってましたから。
ゲーセンデビュー
ベーマガでは新作のアーケードゲームの紹介もされていました。
その中でも凄くやりたかったのが『ドルアーガの搭』です。
でも、新作ゲームは駄菓子屋では出来ないので、ゲームセンター(ゲーセン、以下ゲーセン)に行く必要があります。
当時はゲーセンが近くになかったうえ『不良のたまり場』みたいなイメージでした。
実際に、薄暗いスペースで目つきがおかしいお兄さんがたむろしていて、うっかり足を踏み入れると即カツアゲ(昔の言い方。恐喝してお金を巻き上げられること)されそうな場所ではありました。
実際、地元でも知らないゲーセンだと何回か絡まれておりますw
近所に新しいゲーセンができた!
当時はそんな感じでゲーセンは子供には敷居の高い場所でしたが、1984年の夏休み前くらいだったと思いますが、近所に新しくゲーセンがオープンしました。
友達と何回か偵察に行きましたが、わりと明るい店内でヤンキーもまだ出入りしておらず、子供でも入りやすい感じでした。
目的は『ドルアーガの塔』でしたが、通い始めたときにはすでに新作の『パックランド』『ソンソン』などが並んでいた記憶があります。
ただ、そのゲーセンは100円だったんですよね~。
なので、やるときは失敗は許されず、ベーマガなどの攻略情報を熟読して臨みました。
あとはたまに上手い人が来ると観戦する人だかりが出来たり。
自分もゲーセンにいる時間はほぼ観戦だったり。
当時はアーケードゲームが上手いのは仲間内でもかなりのステータスだったので、自分も上手くなりたくてテクニックや攻略を研究しました。
このゲーセンでは、『ドルアーガの塔』『パックランド』に始まり、『スターフォース』『1942』『ドラゴンバスター』『イーアルカンフー』などをプレイしていました。
ゲームの稼働時期を考えると、このゲーセンに出入してたのは1984年の夏~1985年の春先くらいまでですね。
この時期の時代背景はゲーム音楽史の以下の記事でとりあげています。

1985年に入ると50円のゲーセンが登場しはじめたので、50円のゲーセンに遠征するようになります。
その話はまた書きます。
そしてやっとゲーム音楽の話題ですが、自分がゲーム音楽を『音楽』として認識したのは、このゲーセンでやった『ドルアーガの塔』『パックランド』『ソンソン』『エレベーターアクション』あたりが最初と思います。
ですが、その時代はまだ音楽自体にそこまで興味をもっておらず、楽器をやろうとも思ってなかったので「聴いてて気持ちいいな~、テンション上がるな~」というくらいでした。
MSXを購入
ベーマガを購読するようになってから、色んな新しい情報を得て、PCがどうしても欲しくなり、1984年の秋ごろ、ついにMSXを購入しました。
家のテレビを弟と二人で占拠してベーマガとかMSXマガジンのダンプリストを打ち込んだりしていました。
ゲームもナムコのアーケード移植シリーズや、カセットテープ版のアドベンチャーゲームをやっていました。
『ムー大陸の謎』とか『デゼニランド』(MSX版は青白画面!!)とか。
専用のデータレコーダでない普通のラジカセでもなんとか行けましたね。
MSXでやった初期のPCゲームの音楽で一番記憶に残っているのは、『ボコスカウォーズ』(1983年発売)のテーマです。
『進めー、進めー、者どーもー』ていう歌詞がついてたアレです。
でも、これはインパクトが強くて耳には残るんですが、音楽として感動したか、というと、ちょっと違いますよね。
そうしてしばらくMSXをで遊んでいたのですが、ベーマガなどのPC雑誌を読んでPCゲームの最新トレンドを知ってしまうと、すぐにMSXでは物足りなくなって来るわけですね。
ファミコン購入
1984年当時、興味の中心は次々登場するアーケードゲームと、アドベンチャー・シミュレーション・RPGなどの最先端の知的な遊びを生み出しつつあったPCゲームでした。
ファミコンの価格対性能は脅威的で、ハードウェアスクロールやスプライトを使えたため、アクションゲームに関してはPCより勝っていましたが、ファミコンのゲームってアクションゲームはアーケードの劣化版な感じだったし『RPGなどのPCゲームみたいなのはファミコンじゃ絶対無理』と思ってました。
- アクションゲーム→ゲーセンでやる。上手くなると注目を浴びる!
- アクション以外の知的ゲーム→PCだろ
という感じで、ファミコンが普及していくのを横目でみながら、購入には至っていませんでした。
しかし、1984年11月にファミコン版のゼビウスが発売されると、急激にファミコンが欲しくなってきます。
当時はベーマガ購読の切っ掛けとなったX1版ゼビウスが移植版ゼビウスの中では最高峰でしたが、ファミコン版のほうがX1版より出来が良かったんですね。
この一年くらい前から駄菓子屋でゼビウスをプレイしはじめたBGMですが、ついに憧れのゲームを家にで出来るようになるわけです。
こういう理由でゼビウスをやるためにファミコンを1984年の末あたりに購入しました。
それ以降、アクションゲームは主にファミコンでやるようになります。
ファミコンの凄い裏技
ファミコン初期の頃、BGMの周辺で流行っていた怪しい裏技があるのでここで書いておきます。
ファミコンの電源を入れるとき、ROMカートリッジを半差しにしたり、斜めに差したりすると、画面がバグって地形などが変化することがあり、そのままポーズしてカセットを奥まで差し込むと、地形などが変化したまま遊べる、という荒業でした。
これって有名な技なんですかね?
例えば、初代マリオブラザーズで中二階が出現したり、ジャンプで床を曲げると曲がったままになったりしてましたが。
他のゲームでも、あるはずの壁が消えて、行ってはイケナイところへ行けたりとか。
そのままフリーズして続行不能のパターンが多かったですが、基本、ファミコンのカートリッジならなんでもチャレンジはできて、カートリッジの種類や差し方によって効果は変わってきました。
下手すると本体ごと壊れそうなもんですが、壊れたことはなかったです。
ゲーム歴長いですが、後にも先にも、こんな凄い裏技は他になかったように思います。
どんなカートリッジでも試行可能っていうのが凄すぎww
ロマンあったな~。
――次回はゲーム音楽史で『変革の年』として紹介した1985年あたりの事をお話します。
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