ナムコ一強時代(1981~1984年)~波形メモリ音源と音楽専任スタッフ【ゲーム音楽史02】

1980年末の『ラリーX』から本格的な幕開けとなった日本のゲーム音楽ですが、それからしばらくの間、1984年ごろまでは『ナムコ一強時代』といえる先駆者ナムコの独走状態が続きました。

ナムコ独走の3つの要因

ナムコが独走態勢に入れた要因ですが

  • ギャラクシアン・パックマンからの一連のアーケードゲームの商業的成功
  • いち早く投入された波形メモリ音源
  • 業界初となる音楽専任スタッフの採用

という3つの要因があったと思います。

この時代、次点としては
ドンキーコング』(1981年)の任天堂
タイムパイロット』(1982年)のコナミ
あたりですが、質、量ともにナムコが他社を大きく引き離し、圧倒的地位を築いていました。

ギャラクシアン・パックマンの商業的成功

まず第一の要因である商業的成功ですが、インベーダーブームに追従する形で出した『ギャラクシアン』(1979年)がヒット。
続いて『パックマン』(1980年)の大ヒット。
この二つの成功がその後に続くタイトルへの投資へ繋がったんではないでしょうか。

当時主流だったPSG音源

次に第二の要因、波形メモリ音源です。

この時代(1981年~1983年ごろ)のゲームの音源というと、やっとPSGが普及しはじめた段階でした。

PSGとはProgrammable Sound Generatorの略です。

それまでBeep音やブザーしかなくて効果音程度しか表現できなかったのが、PSGの登場によってメロディや和音が表現可能になりました。

当時の主流のチップは8オクターブ3和音出るもので、1984年ごろまでのPC・ファミコン・MSX・ナムコ以外のアーケードゲームはこのPSGを搭載していました。

PSGの音質はファミコンに代表されるいわゆる『ピコピコ音』で、音色バリエーションが少なく、電子音に音階がついたような感じでした。

ナムコの波形メモリ音源

そんな時代にナムコが投入したのが、C15(少し後には改良型のC30)という波形メモリ音源でした。

波形メモリ音源とはザックリいうと、PSGとFM音源(1985年ころから登場、音色を自分で作ることができる)、これら二つの中間のような音源です。

FM音源のようにユーザーが波形(音色)をエディットすることはできませんでしたが、あらかじめチップに記録してある特定の波形(音色)を再生していく方式です。
原理的にはPCM音源に近いのですが、音の印象は音色のバリエーションが広がったPSGというイメージです。

ナムコの波形メモリ音源はいつから?

ナムコの波形メモリ音源ですが、どの段階から投入されたのか??
というのはネットの情報でも諸説あるようです。

  1. 1980年 音階を出力できたナムコ初の作品である『パックマン』から
  2. 1981年初頭の『ニューラリーX』から
  3. 1981年秋の『ギャラガ』から
  4. 1982年の『スーパーパックマン』(マッピーと同ハード)から
  5. 1983年春の『マッピー』から

自分は音質などの理由で3.『ギャラガ』から説だったんですが、これは違ったようです。

読者様から正確な情報が寄せられ(コメント参照)それによると
1.の1980年『パックマン』からだったようです。

つまりナムコは一般的なPSGは使用せず、最初から波形メモリー音源だったということです。

当初はチップになっていない音源回路で、1音しか出なかったのを高速切り替えで疑似的に3和音にしていたというから驚きました。
ゼビウス、ポールポジションもこの方式だったようです。

音源チップ化された『C15』(8和音出せた)は、1982年後半のスーパーパックマンから。
つまりマッピーHARD以降ということです。
ちなみにゼビウスは1983年ですが旧世代のギャラガHARDで開発されています。

波形メモリ音源のチップによる音の違い

波形メモリ音源ですが、ナムコのアーケードゲームを筆頭に、いろいろなハードに応用されてきました。

少し後のコナミバブルシステム、同じくコナミMSXのSCC音源、ファミコンディスクシステム、ゲームボーイなどですが、メーカーやチップによって音色の個性がありました。

  • 元祖であるナムコC15/C30は温かみのあるオルガン系の音色
  • コナミバブルシステムのものは『グラディウス』に代表されるようなきらびやかな金属系の音色

といった具合です。

ナムコの波形メモリ音源は別名『ナムコPSG『WSG』などと呼ばれ、当時から他社のPSG音源のタイトルとは差別化されていました。

ナムコとコナミは波形メモリ音源への開発投資に注力した結果、他社よりもFM音源導入が遅れた、という結果にもなりましたが……

業界初の音楽専任スタッフ

この時代はプログラマーやゲームデザイナーがBGMや効果音も作るという制作スタイルが一般的でした。

そんな中でナムコが他社から抜きんでた理由の一つとして、他社に先んじて『音楽・サウンド専任スタッフ』を採用したから、ということが大きな要因としてあります。

ナムコ一強時代では3人の音楽専任スタッフが活躍しました。
大野木宣幸さん、慶野由利子さん、小沢純子さんの三人を以下の記事で紹介しています。

大野木宣幸さん
1980年入社、マッピー、ポールポジション、リブルラブル、メトロクロスなど

大野木宣幸【ゲーム音楽作曲家列伝01】
これから新連載『ゲーム音楽作曲家列伝』の連載を開始いたします。第1回は初期ナムコタイトルの作曲家であり、2019年11月に訃報が伝えられた大野木宣幸さんです。

慶野由利子さん
1981年入社、ディグダグ、ゼビウス、ドラゴンバスターなど

慶野由利子【ゲーム音楽作曲家列伝02】
ゲーム音楽作曲家列伝 第2回は1981年ナムコに入社して初期ナムコ作品の音楽を大野木宣幸さん(第1回で紹介)と二人で作っていた慶野由利子さんです。

小沢純子さん
1983年入社、ギャプラス、ドルアーガの塔、スカイキッドなど

小沢純子【ゲーム音楽作曲家列伝04】
ゲーム音楽作曲家列伝 第4回は1984年にデビューして、第1回の大野木宣幸さん、第2回の慶野さんとともに『ナムコ一強時代』の一翼を担った小沢純子さんです。

ナムコという圧倒的ブランド力

自分も子供のころはこういう事情は知らなかったのですが、駄菓子屋時代から『ナムコのゲームの音は分厚くて豪華だなー』と思ってました。

音もそうなんですが、ナムコというブランド力は当時は並ぶものがないくらい強かったです。

ゲーム筐体にはさみこまれてる操作方法やロゴが書いてある紙や、雑誌に載っている画面写真を見るだけでワクワクしました。

余談ですが、当時タカラから『ゲームパソコン』(ソードのm5という機種のOEM)というものが発売され、ナムコのアーケードタイトルを家庭でできるのを売りにしていました。
これが死ぬほど欲しかったんですが、少々お高かったので買ってもらえなかったです。

そして1年ほど後に、MSXでナムコのアーケードゲームシリーズが出はじめたので、そちらを買いました。

このシリーズ、パッケージにも統一感があって、よく並べて眺めて悦に入ってましたw

ただ、『ゼビウス』だけは出なかったのが、少ししてファミコンで出たのでファミコンを購入した、というくらいナムコファンでした。

ゲーム音楽史 前回

黎明期(1980年まで)~はじめて音楽を奏でたゲームとは?【ゲーム音楽史01】
新連載『ゲーム音楽史』初回投稿です。今回は、世界ではじめてメロディーを奏でたビデオゲーム『サーカス』から、ナムコ『ラリーX』登場までの黎明期を扱います。

ゲーム音楽史 次回

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